説教題「わたしは苦しみを受ける前に
過越しの食事」
聖書 ルカの福音書22章1~30節
いよいよイエス様は過越しの祭りを迎えることになりました。この時、イエス様は満を持して、時を選んでエルサレムに入場されました、それはこれまでなされたことのない新しい神の救いのみわざをなされるためでした。
- 過越しの祭りの期待と緊張
過ぎ越しの祭りはイスラエルの民がエジプトから救われたことを神に感謝して祝う時であると同時に、当時異邦の国の支配下に置かれ捕囚同然の状態であった自国の解放を待望する時でもありました。そのことが実現されることへの期待と緊張がエルサレムには充満していました。そのさ中にイエス様はエルサレムに乗り込んで来られました。
- 過越しの食事とキリストによる晩餐
祭りの重要な行事は、過越しの食事です。人々はエジプトからのイスラエルの解放を思い起こして神に感謝して過越しの食事の時を過ごしました。
しかしイエス様が催された過越しの食事は従来のものとは性質を異にしました。それは新しいイスラエルの救いを予告する宴となりました。
イエス様はここで弟子たちに言われます。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました。」
以前から言われていたご自身の苦難を過越しのみわざに結び付けられたことはイエス様の大切なメッセージです。イエス様の十字架のご苦難はイスラエルにとっての新しい救いのみわざなのです。具体的に言えばイエス様の十字架のご苦難を通して神の国がこの世界にもたらされるということです。十字架の贖いこそが神国の礎石の建設事業なのです。
- 神の国と十字架の苦難
そのことを裏付けることをイエス様は言われます。神の国が来るまでぶどうの実からできた物を口にしないというお言葉ですが、実際に福音書で十字架にかけられたイエス様はぶどう酒の飲み物を口になされようとはしなかったのです。イスラエルが待望していた神の国の到来のクライマックスは実にキリストの十字架の死であったのです。
