説教題「ぶどう園のたとえ」
聖書 ルカの福音書20章9~19節
イエス様はエルサレムに向かう前に再三再四、ご自身の死とよみがえりについて予告されましたが、それは決して個人的な志というだけのことではありません。そのことをイエス様はエルサレムで明らかにされました。イエス様が彼らに話されたのはブドウ園のたとえでした。
- イザヤのブドウ園のたとえとイスラエル
ブドウ園のたとえはすでにイザヤのものが知られていました。そこでのメッセージは神様がイスラエルを選び、用いようとされたのにイスラエルは酸いぶどう酒のような結果をもたらしたということです。イスラエルの歴史は残念ながら神のみこころに背き、神が与えられた世界に祝福をもたらすという召命をないがしろにし続ける歴史でした。
- イエス様のぶどう園のたとえ
イエス様はイザヤのぶどう園のたとえをさらに発展させて語ります。ぶどう園の主人は園に何度もしもべを送りますが、農夫はしもべを袋叩きにしてしまいます。これは神が送った預言者の言うことを聞かず迫害したイスラエルのことでしょう。そして主人は最後に愛する息子を送りますが殺されてしまいました。この息子こそがイエス・キリストその人です。このたとえを通してイスラエルが、最後に送られた神のひとり子をさえも受け入れなかったことが分かります。
- 要の石としてのイエス・キリスト
しかしイエス様はその話を悲劇的なものとして終わらせませんでした。それに続き、捨てられた石が要の石となる聖書の箇所を引用します。たしかにイエス様はエルサレムで苦難を受け捨てられた石となりますが、その石は新しいイスラエルを建て上げるに際しての要の石となるのです。
キリストが十字架に死んだという事実は、単に一人の殉教というだけのことではなく、神の国たる新しいイスラエルが誕生する起点となるものだったのです。十字架はイスラエルと世界に罪の赦しをもたらしました。十字架は新しいイスラエルたる御国の建設の力となったのです。
そのことを知る私たちは、キリストを神の国を担うメシアとして心から崇めさせていただきたいと思うのです。
