説教題「メシアの帰還」
聖書 ルカの福音書19章28~48節
ガリラヤにて「神の国は近づいた、悔い改めよ」のお言葉をもって宣教なされたイエス様は19章においてエルサレムに到着されました。
この時、イエス様がエルサレムを訪れたことはメシア(イスラエルの王)の帰還を意味しています。
エルサレムは長年の間、王の不在を嘆いてきました。バビロン捕囚後、都を治めるべき王は失われ、異邦人の入場を許してきました。ですから彼らはどれほどかメシアの入場を待ち望んでいたのでした。
- 子ろばに乗ったメシア
そのような中でイエス様は村人に手配して子ろばに乗って入場されました。過去においてエルサレムには多くの王や将軍が入場してきました。彼らは軍馬に乗って堂々と力を誇示して現れました。しかしイエス様は子ろばに乗ってなのです。それは一つにゼカリヤ書の預言を踏襲するものでしたが、それ以上にイエス様は柔和な平和の君としてのお姿を示し、ご自身の建設する御国の性質を表されたのでした。
- エルサレムの将来を憂うメシア
イエス様のご活動の40年後にエルサレムはローマ帝国による壊滅的な打撃を受けます。町は包囲され、ローマ兵によって焦土と化します。エルサレムの破壊、そのことをイエス様は予見され「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら」と嘆息されたのです。神のみ心は、争いの道ではなく平和の道であったのです。
- 私の家は祈りの家と
宮に入られたイエス様は、商人を追い出され、「わたしの家は祈りの家でなければならない」と言われます。このお言葉にはイエス様こそが神殿の真の主(あるじ)であることを示しています。イエス様は宮をきよめ、メシアの帰還を宣言なさったのです。ここに神のみこころが表されます。神が住まう神殿は何よりも祈りの家でなければならないのです。
今日聖霊の宮とされている私たちは厳粛な思いでこのイエス様のお言葉を聞かなければなりません。わたしたちは、わたしたちの教会は、祈りの家となっているでしょうか?み言葉に応答して祈る者とさせていただきたいのです。
