創造者なる神の恵みの御業

礼拝説教「創造者なる神の恵みの御業」2022年10月30日

聖書 詩篇104篇1~35節

(序)詩篇104篇を大きく1~23節と24~35節の二つに分けて、今週と次週にわたってお話し致します。

  • 威厳と威光を身にまとわれる神(1)

詩篇103篇は、「わがたましいよ。主をほめたたえよ」で始まり、「わがたましいよ。主をほめたたえよ」で閉じられています。詩篇104篇も、同じく「わがたましいよ。主をほめたたえよ」で始まり、わがたましいよ。主をほめたたえよ」で閉じられ、それに「ハレルヤ」が加えられています。ですから、ルーテルの鍋谷先生は、「この二つの詩篇は、一つの組み合わせとして、私たちを神賛美へと促しています」と言っておられます。そして、詩篇104篇の内容は、創世記1章の創造記録と類似していることを指摘しておられます。

さて、今回私は、本篇を大きく二つに分け、17節を中心として、1~23節までを見て参りたいと思います。まず、1節には、創造者なる神の威厳と威光が歌われています。すなわち、神のご本質について歌われています。主は、大いなる方であり、威厳と威光を身にまとっておられる方です。

二、風の翼に乗って進まれる神 (2~4)

2節を見ると、「光りを衣のようにまとい」とあります。創世記1章3節において、神は「光あれ」と言われ、「すると光があった」とあります。創造の御業の最初は光りの創造です。ただ神は、その力ある言葉によって光を創造されたのです。光を創造された神は、実に光を身にまとい、光り輝くご存在です。詩篇に帰っていただき2節後半に、「天を幕のように張られます」とあります。創世記1章6~8節と対応しており、大空の設定です。「大空」ラキアは、「金属を打ち延ばす」という意味から派生している言葉だと言われます。そして、大空の下にある水と、大空の上にある水が分けられています。カイル・デリッチという学者によると、「大空」ラキアは、大気として地球上を取り巻いている空気の拡散したものと考えています。すなわち、雲が、水蒸気としての小さな水のかたまりとして見ているのです。ですから、詩篇104篇3~4節は、神ご自身が、天をご自分の高殿とし、密雲を車とし、風の翼に乗って進み行かれると歌っています。

三、神の創造と恵みの御業(5~23)

次に、詩篇104篇5~9節には、神の創造の御業が歌われています。創世記1章9~13節の海と陸と植物の創造に対応する神の御業です。

そして、詩篇104篇10~23節には、被造物に対する神の恵みの御業が歌われています。10~12節、主は、泉を湧き上がらせ、山々の間の谷を流れさせられます。その水の流れは、動物や空の鳥の渇きを癒し、さえずりを与え、養います。

13~23節は、主なる神が、地に草木を生えさせ、穀物を実らせて、家畜を養い、人々に食物とぶどう酒を与えて、心を喜ばせ、豊かに養ってくださる事が歌われています。

特に心に残ったのは17節です。「そこに、鳥は巣をかけ、こうのとりは、もみの木を宿とします」という一句です。コウノトリは、1971年日本の空では見ることが出来なくなりましたが、2005年豊岡市が野生復帰計画を実行し、再びコウノトリが豊岡の空を舞ったことで知られています。

コウノトリは、翼を広げると2メートルから2メートル50センチもある大型の渡り鳥です。その翼は大きく強く、空高く取としても知られています。神戸新聞によると2022年10月、明石西部のため池に15羽のコウノトリが飛来してきたそうです。ヨーロッパでは、祝福と幸福を運ぶ鳥として考えられています。イスラエルのヨルダン川にもたくさん見られ、時には、大群になることもあるそうです。渡り鳥には珍しく、昼間に移動するそうです。コウノトリが多く飛来した年は、豊作になると言われ、アラビアでは「幸運の父」と呼ばれているそうです。ヘブル語ではハシダーと呼ばれ、「親切」の意味だそうです。コウノトリは、雛に対する愛情が細やかで深いところに関係するとも言われています。

とにかく、そこには、緑豊かで穏やかな自然の息吹が感じられます。全被造物、大きな生き物からいと小さき物に至るまで、主なる神は、きめ細かい配慮をもって、創造し、恵みをもって保っておられます。ましてや、主なる神は、私たち人間一人ひとりに、深いあわれみと豊かな恵みをもって、ご配慮を注いでいて下さっています。そのことを詩人は覚えて、力の限りに主を賛美礼拝しているのです。

(結論)私たちも、いのちの限りに主をほめ歌いましょう。