御霊による宣教と信仰継承

礼拝説教「御霊による宣教と信仰継承」大塚篤牧師2021年1月10日

聖書 テモテの手紙第二 1章7節、

(序)本日は、本年、私たちの教会に与えられたみ言葉からお話いたします。今朝は、特に、「力と愛と慎みとの霊」に的を絞ってお話したいと思います。

パウロは、ローマの獄より一度開放され、伝道旅行をしていますが、再び捕らえられてローマの獄につながれています。パウロは、この手紙をローマの獄中から書き送っています。教会歴史家エウセビオスによれば、パウロは68年に処刑されています。ですから、この手紙は、67年に書かれたと思われます。よって、この手紙は、パウロの絶筆です。

 3節において、パウロは、昼夜、テモテのことを祈りの内に覚え、「先祖以来きよい良心をもって仕えている神」に感謝しています。「先祖以来きよい良心をもって仕えている神」とは、テモテが、幼い時から、聖書に親しみ、祖母ロイスや母ユニケの信仰を継承していることを念頭に覚え、このように言ったのです。4節、パウロは、テモテに引き継がれた「純粋な信仰」を覚えて感謝しています。テモテが良きクリスチャン・ホームの中で、その信仰が単なる観念的なものとしてでなく、全人格的なものとして養育されて来たことが、「宿る」という表現でうかがい知ることが出来ます。

 そのような「純粋な信仰」を頂いているのだから、パウロが按手を与えた時に頂いた、「神の賜物」すなわち聖霊の賜物を再び燃え立たせなさいと、愛のゆえに、注意し、勧めているのです。

一、力の霊

7節、神が与えてくださった「神の賜物」は、「おくびょうの霊ではなく」とあります。テモテには、肉体的弱さ(第1テモテ5章23節)とともに、臆病で心配性という霊的な弱さがあったようです(第1コリンント16章10節)。ですから、「神の賜物を再び燃え立たせてください」(6節)と励ましています。まず、「力の霊」です。「力」デュナミスとは、爆発的な力です。テモテだけでなく、私たちもまた、弱さを持つ人間です。しかし、御霊は、私たちを励まし、キリスト・イエスにある恵みによって強くしてくださいます。キリストにある立派な兵士として用いてくださいます。

「力の霊」。それは、

①協力する力です。一人では出来ないことも協力して行えば力が与えられます。伝道の書4章12節。

②栄冠を目指し、失望したり、あきらめたりせず、信仰に立って、キリストを証し続ける力です。

③骨の折れる仕事を担う力です。救霊伝道の働きは、農夫のように、忍耐のいる働きです。春蒔けば、自動的に、秋には刈り取るという具合には行きません。どのような作物でも、毎日手入れをし、やっと秋に収穫をすることが出来るのです。自分のようなものでも救われたことを思い、主は救われる方を必ず起こしてくださると信じて伝道に励みましょう。

二、愛の霊

「愛」の冷えている現代において、伝道して行くには、愛が最も大切です。

 第1テモテ1章15~16節をご覧ください。

罪人に対する主のあわれみが記されています。 パウロは、マルコ2章17節などを念頭に、福音の中心であり、要である言葉を引用し、自らの体験に照らし合わせて、真実の言葉であり、受け入れるに足る言葉であることを証しするのです。しかも、自らがその罪人のかしらである事を告白しています。そして、そのような主のあわれみを受けたのは、今後、主イエスを信じて救われ、永遠の命を得ようとしている人々の良い見本としてくださったのだと感謝しています。私たちが救われたのは、主の恩寵によると共に、私たちを通して他の人々が救いに預かるようになるためです。救われたのは、主に仕え、福音に仕え、教会に仕え、「神の愛」を証するためです。

第2コリント5章14節もご覧ください。「、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです」とあります。他の訳では「キリストの愛が、私たちに強く迫っているからである」とあります。キリストの愛のお迫りを受け、キリストの愛に囲まれて伝道しましょう。

三、慎みの霊

「慎み」ソフロニスモスという言葉が使われています。それは、聖徒としての常識であり、ご聖霊によって自らをコントロールすることです。聖徒の思慮深い健全な考えは、臨在の主を知っており、いつでも御霊によって自制して頂くことが出来るということです。事情境遇に左右されない信仰に立ち続けるところの力です。福音を恥としないで、大胆に福音を証する力です。この力と愛と慎みの霊による宣教と信仰継承に力を尽くしてまいりましょう。福音を恥とすることなく、大胆に福音を証して参りましょう。力と愛と慎みを与える御霊による宣教と信仰継承に力を尽くしてまいりましょう。

(結論)私たちは、「力と愛と慎みとの霊」を頂いています。ですから、臆することなく、「神の賜物」すなわち聖霊の賜物を再び燃え立たせて頂き、まだ福音を聞いていない人々、そして次世代を担う若者たちに、福音を力強く証しして参りましょう。