説教題「神の国への招待状③」
聖書 マタイの福音書5章1~12節
イスラエルにおいて待ち望まれた神の国をもたらすメシアとしてイエス様は神の国(天国)がどのような国であるかを教えられました。
① あわれみ深い者は幸いです
イエス様は上記のようにおっしゃいました。あわれみ深さは美徳ですが、残念なことに地上ではその報いを受けるとは限りません。あわれみ深く生きることはリスクさえ伴います。
しかしイエス様は彼らはあわれみを受けると言います。このお言葉が受け身であるのはあわれみをかけてくださるお方が神であることを意味します。神はあわれみ深い者にご自身のあわれみを持って臨んでくださるのです。
② 心のきよい者は幸いです
心のきよい者は神を見るとありますが、聖書にその例はあるのかと思ってしまいます。モーセやイザヤへの神の顕現の話が出てきますがイザヤは自分の汚れを悲しんでさえもいます。また新約では神を見た者はいないともあります。しかしこれは神の国への招待です。神の国では神を見るのです。
そしてここで覚えていただくことは当時のパリサイ人のきよめの啓発的働きです。彼らはきよめの儀式を重んじました。しかしイエス様は心のきよさを求められました。神の国は儀式的な、外的なパフォーマンスではなく心のきよさを大切にする国なのです。
③ 平和をつくる者は幸いです
平和をつくるとは能動的行為を表す言葉です。イエス様が神の国にふわさしい者として求めることは平和をつくりだすことでした。メシアとは平和の君であることがイザヤ書にありますが神の国の臣民、あるいは神の子は、平和を作り出す神のみわざに参加する者でした。
イエス様は、新しく平和の御国をもたらすために剣を抜くのではなく十字架を負われました。わたしたちもそのイエス様の御後に従うことを求められているのです。トラブルメーカーではなくピースメーカーとならせていただきましょう。