礼拝説教「神の国への招待状②」2025年1月26日

説教題「神の国への招待状②」
聖書 マタイの福音書5章1~12節

 イエス様の公活動によって人々の神の国への期待は高まりました。イエス様はそのような中で、神の国の性質をあらわすみわざを行います。それは病人のいやし、悪霊の追い出しでした。それだけでなくご自身の言葉をもって御国を表しました。
① 義に飢え渇く者
 イエス様は義に飢え渇く者をあげました。ここでいう義とは正しさということですが、それは神の義ということです。そして神の義は公正、正義であると同時に弱い者に対する配慮を指し示します。このことはイスラエルの律法に反映されていると言っていいでしょう。
 ヨべルの年というのがありますが、これは50年ごとにもたらされる年ですが、その時すべての奴隷が解放され、売られた土地の権利が取り戻されます。これはイスラエルの民が等しく大事にされなければならないということです。
② イスラエルの現実
 しかし実際にはイスラエルは神の義を顧みませんでした。アハブとイゼベルのナボテのぶどう酒のエピソードがそうですし、貧しい者を虐げることを糾弾する預言がアモス、イザヤ等によってなされています。
 イエス様の時代も同様でした。むしろ不義は更新しました。為政者が富を得、またローマの支配のもとに一般の人びとは貧しさの中に置かれました。5000人の給食はそのことの象徴ととらえることができるかも知れません。イスラエルの人びとの義に対する飢え渇きは強まっていました。
③ その人たちは満ち足りるからです
 イエス様は彼らが満ち足りることを告げます。それはイエス様がもたらされる神の国で実現することの宣言です。そしてイエス様はそのために十字架の道に向かって進んで行かれます。神の義が満ち足りるために主はご自身の命を差し出される道を歩むお方であったのです。