説教題「神の国の創造」
聖書 創世記1章24~31節
創世記は古代に記されました。ですからこの世界を現代の科学の理解で説明しようとしていません。そうではなくて神様がこの世界をどのように意図して造られたかを説明するものです。
当時のイスラエルの国の周りにも創造神話はありましたが「創世記」とはもって非なるものです。神々の争いや混乱のもとで世界が造られ人間は奴隷のような存在として描かれています。創世記はそれとは違います。
- 神の神殿として
創世記において神はこの世界をご自分がお住まいになるにふさわしい神殿としてお造りになりました。1日から6日までは神の神殿としてセットアップされましたが、7日目になると安息日にとなります。これは神が神殿に入られる落成式です。そのような中、6日目に造られたのが人間でした。人は6日間の神殿の創造のみわざのクライマックスとして造られました。
- 神のかたち、似姿、祭司として
6日目に人間は他の被造物と違って神のかたち、神の似姿に造られました。この意味するところは人は神の神殿に仕える祭司として、あるいは神様とこの世界をとりなす祭司として造られたということです。そして神様から創られた神殿たるこの世界を大切に扱う務めを与えられているのです。しかし残念なことに人は不従順によって祭司としての務めをないがしろにしてしまい、罪と死がこの世界に入り込みました。
- キリストによる回復
しかしキリストはエルサレムにてご自身を十字架に献げるみわざによってこの世界を救い、祭司としての人間に回復の道を与えてくださいました。キリストがご自身を十字架に献げられたのはわたしたち人間がもう一度この地上で祭司として主の御前に立つことができるようにするためでした。それは神の新しい創造のみわざでした。
今、わたしたちは祭司としての務めにあずかっています。この光栄ある務めを謹んで全うしましょう。