転換点を越えて

元旦礼拝説教 「転換点を越えて」 2024年1月1日

聖書 ヨシュア記3章1~17

(序)本日は、2024年のために教団に与えられている標語のみことばからお話し致します。教団の2024年の標語は、「転換点を越えてー栄光の日まで主に仕え続ける」です。本日は、ヨシュア記3章17節を中心にお話し致します。

 一、新しい時代への転換点

イスラエルにとって、ヨルダン川を渡るという事は、一つの大きな転機、新しい時代への転換点を意味していました。それは、彼らの将来を決定づける転機でありました。いよいよ約束の地に入って約束の地を獲得して行く前に、彼等はこの転換点を経験する必要がありました。ヨルダン渡河が、イスラエルの民にとって、その後の前進を決定づける重要な転換点であったように、私たちにとっても、この時代の転換点を迎えています。

今、私たちは、新しい時代に突入しようとしています。今こそ大きな転換点に立つていることを、私たちはしっかりと認識し、心に捉えるべきです。そして、その転換点を、信仰をもって越えて行く決心をすべきです。そこに新しいビジョンが与えられるのです。

二、契約の箱を先頭に新しい時代への前進

 水かさが川いっぱいに満ちているヨルダン川を渡るという目の前の困難を乗り越えねばなりません。そのためには、彼ら自身の思いが一つとなり、主に対する信頼が確固たるものとなる必要がありました。一人でも不信仰を起したり、不平を述べたりするならば、その悪しき影響が広がってしまいます。女性や子ども、老人を合わせると200万はいたと思われるイスラエルの民に広がれば収拾がつかなくなると思われます。民の全員がヨルダン川を渡るためには、一つとなり、確固とした信仰に立つことが重要でした。そのために、彼らは、神の臨在の御前に、自らを聖別しました(5節)。1節「朝早く起き」の一句は、緊張感を伝えています。彼等は、一足飛びに川を渡りませんでした。また、渡れるような状況ではありませんでした。彼等はまず三日間ヨルダン川を前に宿営しました。その事の意義は何かと言えば、①信仰の一致が与えられるためであり、②主なる神様に対する民の信仰が強められるためでした。そして彼らは、心を一つにして、信仰の一歩

を踏み出したのです。「渡ろうとして…出発した時、…祭司たちの足が、水際の水に浸ると…」(14~15節)とあります。彼らは信仰をもって、ヨルダン渡河の第一歩を踏み出したのです。この信仰の一歩無くして事は始まりません。私たちも、新しい年に向けて、信仰の一歩を踏み出しましょう。

三、主の臨在が共にあるとの確信に立った前進

 民の目の前に、ヨルダンの洪水が押し寄せていますか。困難が横たわっていますか。前進は不可能に見えますか。その時こそ、神がその全能を表わして下さる時です。17節をご覧ください。「主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた」(17節)とあります。民の全員がヨルダン川を渡り終えるまで、契約の箱を担ぐ祭司たちはヨルダン川の真ん中に「しっかりと立止まった」とあります。少数の民の代表である祭司はしっかりと立ち続けました。そのごとく、神の箱を担ぐ少数の信仰の人が必要です。

あなたもそのような少数のしっかりとした信仰の人となってください。少数の信仰の人として、礼拝と祈りと伝道と献金において励んでいただきたいと思います。

「契約の箱」は、神の臨在のしるしであり、象徴です。主が先頭に行き、渡り切るまで「真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった」(17節)とあります。すなわち、民がヨルダン川を渡り切るまで、神の臨在がともにあり、彼らを守ったのです。

私たちも、主に信頼し、新しい年に向けて信仰の一歩を踏み出しましょう。私たちが主を信頼し一歩踏み出す時に、主は共にいまして、大いなる奇跡の御業を行って、目の前の転換点を越えさせ、前進させてくださいます。

  (結論)この年、私たちも、信仰によって前進し、主の大いなる御業を見させていただきましょう。