バビロンの川のほとりで

礼拝説教「バビロンの川のほとりで」2023年10月22日

聖書 詩篇137篇1~9節

(序)この詩篇は、捕囚の地における歌、または捕囚より帰還後バビロンでの苦しみを思い出して歌った歌であると言われます。

  • 捕囚の地における悲しみ (1~4節)

1節、「バビロンの川のほとり」バビロンは、チグリス・ユーフラテス川に囲まれており、また運河のある町でした。イスラエルの民は、捕囚の地において、ケバル川のほとりに居住していました(エゼキエル書1章1節)。川のほとりは、祈りと瞑想のために用いられていたのです。詩人は、「バビロンの川のほとりに座り、シオンを思い出して泣いた」というのです。2節、「柳の木々に…竪琴を掛けた」とは、神殿やエルサレムが破壊されていることを思うときに、喜びの讃美は歌えないということです。3節、捕らえ移した者たちや、苦しめた者たちが「シオンの歌を一つ歌え」と求めたのです。ですから詩人は、「どうして、異国の地で、主を讃える賛美の歌を歌えるだろうか」と嘆いているのです。

二、エルサレムへの思い (5~6節)

5節、エルサレムに対する望郷の思いを切々と歌っています。「もしも私があなた(エルサレム)を忘れてしまうなら、右手が麻痺して、繁栄を失ってもよい。…あなた(エルサレム)を忘れて思い出さず、エルサレムを最上の喜びとしないならば、舌が上あごについて、歌が歌えなくなってもかまわない」とエルサレムへの思いを歌っているのです。

三、エドムとバビロンに対するのろい (7~9節)

7節、「エルサレムの日に」すなわち、エルサレムがバビロンによって攻撃された時、「破壊せよ。破壊せよ。その基までも」と徹底的な破壊をするようにと悪口を言い、破壊されたエルサレムで略奪を行ったエドムに対する報復を祈っています。

さらに、8~9節で、エルサレムを破壊したバビロンに対する報復を激しい言葉で述べています。新約の恵みに生きる私たちには、理解できないほどの激しい報復の言葉、呪いの祈りです。

しかし、私たちもひどい扱いを受けた場合、なかなか人を赦すことが出来ないのではないでしょうか。主イエス様は、「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイの福音書5章44節)と命じておられます。この主イエスのご命令になかなか従い得ない私たちではないでしょうか。

最後に、ローマ書12章19~21節とエペソ人への手紙4章31~32節をご覧ください。ここに私たちが、互いに親切にし、優しい心で赦し合うべきことが命じられています。

(結論)私たちは、なかなか人を赦すことのできない者であることを覚えます。私たちは、憎しみでなく、呪いでなく、互いに親切にし、優しい心で赦し合う者となりましょう。