礼拝説教「主の御業は偉大」2023年3月5日
聖書 詩篇111篇1~10節
(序)本篇は、ハレルヤで始まっており、「ハレルヤ詩篇」と呼ばれています。この詩篇は、形式的に22行から形成されており、各行の初めがヘブル語のアルファベットの文字で始められています。ですから、「アクロスチック(アルファベット歌、いろは歌)詩篇」と呼ばれています。
詩篇112篇もおなじ形式で書かれており、この二つの詩篇は、姉妹篇と言われています。
一、主の偉大な御業への感謝(1~6節)
まず1節に、ハレルヤとあります。ハレルヤとは、「主をほめよ」という意味です。まず、すべての始まりに「主への賛美」があるのです。そして、賛美に感謝が続いています。賛美と感謝は一体だと申し上げても良いでしょう。ハレルヤに続いて、「私は心を尽くして主に感謝をささげよう」とあります。申命記6章5節には、「心を尽くし、いのち(精神)を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」とあります。すなわち、「私たちの心の思いの全てをもって、主を愛する、主に感謝する」ということです。そのような賛美と感謝は、特に「直ぐな人の交わり、主の会衆において」だということです。すなわち、主を信じ人々のささげる礼拝において、「私は心を尽くして主に感謝をささげよう」というのです。
2節、主とその御力を尋ね求める者の目が、主の偉大な御業に向けられて、賛美と感謝がささげられるのです。
3節、「そのみわざは威厳と威光」だと言うのです。主は、「その奇しいみわざを人の心に刻まれた」と歌っています。すなわち、その奇しいみわざを 通して、私たちは、「主が情け深く、あわれみ深い」方であることを知り、深く心に刻むのです。
そして、4節以降に、主が如何に情け深く、あわれみ深い方であるかが歌われています。主は、主を恐れ、主を信じ、主に寄り頼む者に、食べ物を与えてくださいます(5節)。さらに、主は、その御力を示し、約束の地を与えられました(6)。
二、聖であり真実である主への感謝(7~9節)
7節からは、主ご自身が、如何なるお方であるかが歌われ、賛美と感謝がささげられています。主は、ご自分の契約を覚えておられ(5節)、これを永遠に堅く定めておられます(9節)。主の御手の業は、そして主ご自身は、真実と公正に満ちたお方であり(8節)、そのすべての戒め、そのみことばは、「確かである」と賛美しています(7節)。主とその御業は、実に真実と公正をもって行われていると歌い、感謝しているのです。
9節に「主の御名は聖であり、恐れ多い」とありますが、この「聖」というのは、ヘブル語ではコーデッシュ(「聖なる」カドーシュ)と言います。その根本的な意味は、「分離」ということであり、「主の臨在の燃えるような輝き」という意味をも持っている、とN.H.スネイスは言っています。ベンゲルは、「聖というのは、覆われた神の栄光である」と言ったそうですが、フリーゼンという人は、「神の栄光は、神の本質の放射する力であって、いわば神の隠れた聖が外面にあらわれたものだ」とも言っています。
ですから、主なる神が「聖」であるとは、「他のものとは本質的に全く分離、区別された聖なる方」であり、「燃えるような栄光の輝き」を持たれた方であるということです。
あまりの輝きのために、太陽を肉眼で正視できないように、私たちは、神の聖なる輝きのために、御前に近づくことの出来ないような者ですが、
ただ主イエスの血潮のゆえに、近づくことを許されている者です。
そしてまた、主は、「真実な方」です。第Ⅰコリント10章13節をご覧ください。
神様は、真実なお方です。神様は、ご自身のご真実を、私たちの生涯の全ての歩みの中に示していてくださいます。その幾つかを新約聖書の中で挙げるならば、次のようになります。
(1)赦し、きよめてくださる真実。第1ヨハネ1:9
(2)最後まで堅く支えて下さる真実。第1コリント1:9
(3)試練を乗り越えさせてくださる真実。第1コリント10:13
(4)きよめ、全き者としてくださる真実。第1テサロニケ5:24
私たちが、信頼して従って行くなら、主は、いつも解決を与えて下さる「真実な方」です。
三、主を恐れ、誉れを主に帰しての感謝(10節)
10節は、「知恵の初め、それは主を恐れること」と箴言の主題であり、詩篇111篇そして、次の112篇の主題をもって勧め、締めくくっています。111篇の作者は、すべての始まり、すべての土台に、「主を恐れることを置きなさいよ」と勧め、「主の誉れは永遠に立つ」と結んでいるのです。「主を恐れる」とは、主を信じ、主に信頼し、主を敬い、主をかしこみ、畏れることです。すなわち、私たちの感謝は、常に「主を恐れる」ということを土台にした感謝であり、「主に一切の誉れを帰す」ところの感謝です。
最後に、第Ⅰテサロニケ5章16~18節をご覧ください。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることである」とあります。常に喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝する者となりましょう。
(結論)私たちは、主の偉大な御業を覚えて感謝し、聖であり真実である主ご自身に感謝をささげ、主を恐れ、主に誉れを帰して、心から感謝をささげましょう。