礼拝説教「キリスト者の肖像」(1) 2022年3月13日
聖書 コロサ人への手紙1章9~10節
(序)コロサ人への手紙1章9~12節には、パウロの祈りが記されています。そして、それの祈りには、キリスト者のあるべき理想像が込められています。B.F. バックストン師は、この所を「信者の肖像」と題して七つのポインツをあげています。そこで、この朝と次週の2回に分けて、この七つのポインツ見て行きたいと思います。それらは、パウロが、コロサイの人々の信仰の成長をエパフラスから聞いた日以来、絶えず祈り求めていたことでした。
一、神のみこころについての知識に満たされた者(9節)
9節の後半に、「どうか、あなたがたが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころについての知識に満たされますように」とあります。
第1に、キリスト者として大切なのは、「神のみこころについての知識に満たされる」ということです。コロサイのクリスチャンたちが、そして私たちが、「福音の真理のことば」あるいは「神の恵み」を聞いて学んだのは、他ならない「神のみこころについての知識」です。
現在、私たちは得ようと思うなら、様々な情報を書物やパソコン、スマホなどによって検索して手に入れることが可能です。そのような情報多過の時代にあって、大切なのは、ただ神のみことばのみであることを、今月の「時報」において、宮澤清志先生が書いておられます。宮澤清志先生は、「沈黙の大切さ」ということで、「主の救いを、静まって待ち望むのは良い」という哀歌3章26節を引用しておられます。まさにそのとおりであると思います。
主の御前に静まり、みことばを通して、ただ「神のみこころ」を求めるのです。この「神のみこころについての知識」に満たされることが、私たちクリスチャンにとって何よりも大切なのです。そのためには、「神のみことば」と「神の御霊」が大切です。ですから、パウロは、「あらゆる霊的な知恵と理解力によって」と言っているのです。この「神のみこころについての知識」の「知識」は、ギリシャ語のエピグノーシスという言葉が用いられています。それは、普通用いるグノーシスという単なる知識ではなく、詳しく、正確な知識を意味しており、さらに付け加えるならば、パウロが、そして聖書がこのエピグノーシスという言葉を用いる時には、へブル的な意味合いでの「知る」ということが具体的、体験的、人格的であるということです。文語訳では、「具(つぶさ)に知り」と訳しています。
パウロは、コロサイのクリスチャンが、この神のみ旨を「具(つぶさ)に知る」ということに満ち満ちるようにと祈っているのです。
まさに、この「神のみこころについての知識に満たされる」ということは、クリスチャンにとっての信仰生活の基本中の基本です。
二、主にふさわしく、喜ばれる歩みをする者(10節)
10節に、「主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ」とありますが、信仰生活の基本中の基本である「神のみこころについての知識に満たされる」ならば、具体的実践的な信仰生活として、「主にふさわしく、喜ばれる歩み」となるはずです。「主にふさわしく」とは、主が血潮を流し、いのちを捨てて贖われた者にふさわしいということです。ですから、当然、「自分を喜ばせる」という基準で生きるのではなく、「主に喜ばれる」という生き方となるのです。
三、あらゆる良いわざに実を結ぶ者(10節)
そして、「主にふさわしく、主に喜ばれる」生き方というものは、「あらゆる良いわざのうちに実を結ぶ」のです。ガラテヤ人への手紙5章22~23節をご覧ください。ここには、「御霊の実」とはどのようなものであるかが記されています。「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、誠実」と9項目挙げられています。
1.神との関係における根本的な実
「愛、喜び、平和」は、主なる神との正しい関係に回復されたときに与えられるものです。①「愛」アガペーは、神様の一方的な恵みとしての「愛」を根本にしおり、クリスチャンもこの「愛」に生きるようにと勧められているのです。②「喜び」は、愛があるところに、自然と喜びも生まれます。③「平安」も愛のあるところに満ちます。いのちに満ち溢れた豊かさがそこにあります。
2.隣人との関係における外に現れた実
「寛容、親切、善意」は、隣人との関係における実であり、外に現れた実であり、クリスチャンの持つべき良き性質です。①「寛容」マクロスミア懐が深く、心の広いことであり、すべてを愛と寛容の広い心で受け止めることです。②「親切」クレストテースとは、「正しく、善」であり、「慈愛と親切に満ちている」ことです。どんな人に対してもピッタリと寄り添うことです。③「善意」アガソスネー「善良で慈悲深い」ことです。
3.個人的生活における内的な実
「誠実、柔和、自制」は、個人的な生活における実であり、隠れたところの個人の生活態度です。①「誠実」ピスティスは、「忠誠、忠実、誠実」など信頼を呼び起こすものです。②「柔和」プラウテースは、柔和で温順なことです。③「自制」エグクラテースは、自分をコントロールすることです。御霊は、私たちのうちに働いて、御霊の良き実を実るようにしてくださるのです。
四、神を知ることにおいて成長する者(10節)
コロサイ1章10節の「神を知ることにおいて成長しますように」とは、
あらゆる良いわざのうちに実を結んだ結果として、ますます神様との親しみが増すということです。このことについて、「たとえば怒ったとき、その怒りに正当な理由があったにしても、さてそれで神の近づこうとしたとき、心は何とはなしにそぐわないものを感じるであろう。しかし困難を克服して、相手を赦したとき、さて祈ろうとすれば、心は喜びと感謝に満ちてすぐに祈りの言葉が口をついて出て来るであろう。わざの功で神の親しみを勝ち得るのではないが、よきわざは神の嘉納したもうところである」と小島伊助先生は記しておられます。
(結論)神のみこころについての知識に満たされ、主にふさわしく、喜ばれる歩みができ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、神を知ることにおいて、ますます神様との親しみが増すような生き方をしましょう。