礼拝説教「しかし聖霊が臨むとき」2021年5月23日
聖書 使徒の働き1章3~8節
(序)本日は、使徒の働き1章8節を中心に見たいと思います。「しかし」という接続詞が来て、6~7節の事柄から、8節の事柄の重要性へと弟子たちの思いを急旋回させて振り向けています。聖霊が臨むときどの様な力を受けるのでしょうか。
一、主を証しする力
それは、第1にキリストを証しする力です。どの様にキリストについての知識があっても、キリストを証しする事は出来ません。聖霊の注ぎと満たしなくしては、キリストを証しする事は出来ないのです。主を証しするために、私たちは無力です。どうしても、聖霊によるところの力が必要です。「力」と訳された言葉は爆発的な物凄い力を意味しています。8節に「わたしの証人となります」とありますが、「証人」マルトゥレスとは、命を懸けても誠実に真実を明らかにするところの人です。ですから「殉教者」を意味する英語のマーターは、この言葉から派生しています。「証人となる」ということについて、A・T・ロバートソンは、「壮大で神聖な確証についての忠実な言葉」Royal words of magnificent and Divine assurance.と言っています。それは、どんな時にも、大胆に証しする力です。
主イエスの名によって語ることを禁じた大祭司たちに対し、ペテロは、「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒の働き5:29)と大胆に語る力をいただいています 。ステパノも、石を投げつけられて殉教して行く時に「ああ天が開けて、人の子が神の右に立っているのが見える」(使徒の働き7:56)と証ししています。
エペソ6章10節をご覧ください。「主にあって、その偉大な力によって強くなりなさい」とあります。私たちは、あらゆる悪魔の策略に勝利し、大胆に福音の奥義を証しするために、主によって強められる必要があるのです。
二、信仰によって歩む力
第2に、それは、信仰によって歩む力です。
1、み言葉に立って、
バックストン先生は、「使徒の働きにおける三つの大切なことは、『聖霊と神の言葉と神の人』だ」と言っておられます。実に、使徒の働きは、いかにしてみ言葉が広まったか、人々がそれを聞いて信じ、信仰に立って歩んだかが記されています。
「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。」(使徒の働き6章7節)。
2、賛美と祈り、
「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。」(使徒の働き16章25節)。祈りと賛美のある時に、神様の大いなる御業がなされるのです。
3、御霊の導き。
使徒の働き16章6~10節をご覧ください。「パウロがこの幻を見たとき、私たちは直ちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。」(10節)
三、一つにする愛の力
初代教会の人々は、心を一つにして、主を礼拝し、生活を共にしていました。使徒の働き2章41~47節を見ると、初代教会の人々が、心を一つにして、礼拝と賛美をし、聖餐や愛餐を行い、教えを守り、交わり、所有物さえ分け合っていた様子が書かれています。しかも、時には、一致が壊れるのではないかと思われる時には、御霊の導きによって、一つとされています(使徒の働き6章1~7節)。まさに、御霊によって、互いに一つとする愛の力が与えられていたのです。お互いが一つとなることによって、「主ここにいます」と世の人に主を証しすることができるのです。
四、神の栄光を見る力
信仰と聖霊に満ちたステパノは、その殉教の死の最中に、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」(使徒の働き7章56節)と言っています。
パウロもまた、啓示の御霊によって、エペソ教会の人々の目が開かれ、神の召しによって与えられる望みと神の栄光の富を、そして神の大能の力の働きによって信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができるようにと祈っています(エペソ1章17~19節)。 主は、この神の力のすべてをもって満ち満たして下さるのです。
どのような困難な時にも、「神の栄光を見る力」を与えられ、主イエスの証人としてくださるのです。
(結論)聖霊の注ぎと満たしを切に求めましょう。そして、上からの、「主を証しする力」、「信仰によって歩む力」、「互いに一つとする愛の力」、「どのような困難な時にも、神の栄光を見る力」に満たしていただきましょう。