礼拝説教「ゆだねられた栄光の福音」大塚篤牧師 2021年1月24日
聖書 テモテへの手紙第一 1章3~11節
(序)本年の教会標語の聖句として、テモテへの手紙からいただいていますので、テモテへの手紙からお話いたします。
一、清い心と正しい良心と偽りのない信仰 3~5節
テモテへの手紙が書かれた重要な目的の一つは、エペソの教会における偽教師の問題に対してどのように対処するかということでありました。パウロは、この問題の解決のために、テモテがエペソに留まるように要請しました。「違った教え」とありますが、異端の教えが当時からはやっていました。今日も様々な異端の教えが、私たちの周りにはありますから注意しなければいけません。パウロは、これらのものに心を向けて(船が港に寄港するように)聞き従い、捕らえられないようにしなさいと言っているのです。昔も今も、異端は一見してもっともらしい作り話をします。しかし、覚えてください。正統的なキリスト教信仰は、歴史的宗教としてのイエス・キリストの贖いという歴史性にしっかりと土台した信仰です。この信仰こそ「信仰による神の救いの計画」の実現をもたらすのです(エペソ1:10)。
4節で、パウロは「命じなさい」とテモテに命じています。不定過去という特殊な用法を用いて、「きっぱりと命じなさい」とでも訳したら良いのではと思います。そして、この命令の目的を、「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛」(5節)に定めています。パウロは、愛の三つの出どころして「きよい心」と「正しい良心」と「偽りのない信仰」をあげています。
1、「きよい心」
「きよい心」とは、愛の座としての心が澄んでいるということです。その心が湧き出す泉のように澄んでいるところに本当の愛が溢れるのです。
2、「正しい良心」
良心とは「とがめられるところのない意識」のことです。「正しい良心」とは神のみ前におけるとがめのない意識のことです。
3、「偽りのない信仰」
信仰に偽りがあってはいけません。「偽りのない信仰」は、きよい心と正しい良心によって強められます。それは、みことばに土台し、きよい心と正しい良心によって強められた信仰が、真の愛を生じるのです。
キリスト教信仰は、この愛を目標としているのです。「この愛は、罪赦され、心きよめられ、とがめなき良き良心を温床とするのである。」と小島伊助先生は言われました。私たちは、きよい心と正しい良心によって強められた信仰を土台とした真の愛に迫られて、人々に福音をのべ伝えるのです。
二、ゆだねられた栄光の福音 6~11節
偽教師たちは、この健全な愛の目標を失い、ついには倫理的にもわき道にそれてしまいます。彼らは、律法の教師でありたいと望みながら、無知と無理解に陥っています。律法は、人々に罪の自覚を生じさせ(ローマ3:20)、キリストへ導く養育係です(ガラテヤ3:24)。律法は、不敬虔な者や親をぞんざいに扱う者、人殺し、性的罪を犯す者、盗んだり、うそをつく者、その他健全な教えにそむく者に罪を自覚させ、キリストに導くためにあるのです。
1、祝福してくださる神
11節で、パウロは、自らが神からゆだねられた福音についてあかししています。「祝福に満ちた神の」とは、新約聖書において、ここと6章15節にのみ出てくる珍しい表現です。「人間に祝福を与える、祝福の源としての神」であることを意味しています。創世記1章27~28節をご覧ください。神は、人を創造の華として最後に造られ、「祝福された」のです。
祝福の源である神は、信仰によって、主に従う者をもまた、「祝福の基」(創世記12:2)としてくださるのです。
2、栄光の福音
「福音」とは、「喜びのおとずれ」ということであり、罪のために滅びしかない運命の人間のために、あわれみ深い神の恵みのゆえに、イエスキリストを通して与えてくださった救いの道についての「喜びの知らせ」です。神に背を向け、罪を犯したがゆえに、神の祝福を失った私たち人間のために、神ご自身が、独り子なる主イエスの贖いにより救いの道を開いてくださって、再び私たちを祝福で満たそうとして下さっているという「喜びの知らせ」です。
しかもその福音は、「栄光の福音」なのです。
「栄光」とは、「神の本質の輝き」です。すなわち、主なる神の光輝く聖と変わることのない永遠の愛というご本質が輝きだしたものであり、それは神の救いの歴史の中で、恵みとまこととして輝きだしているのです。
18世紀ドイツの福音的聖書学者ベンゲルは、「神の栄光とは、救済の奥義そのものであり、その結果と成就である」と言っています。
実に「神の栄光」の中心は、神の救いの奥義としての「キリストの十字架の贖い」にあるのです。ですから、「栄光の福音」とは、主イエス・キリストによる贖いによってもたらされるところの、恵みとまことに満ちた輝ける「栄光の福音」なのです。
3、ゆだねられた「栄光の福音」の宣教
この福音は、永遠に輝き続けるところの神の福音であり、この輝かしい「栄光の福音」をゆだねられているという恵みの自覚を、パウロはしているのです。私たちもこの福音に預かり、この福音をゆだねられていることを深く自覚して、時が良くても悪くても、福音の宣教に励みましょう。
(結論)私たちは、きよい心と正しい良心によって強められた信仰を土台とした真の愛を頂いています。この愛に迫られ、この福音に預かり、この福音をゆだねられている者として、恵みとまことに満ちた輝ける「栄光の福音」を宣べ伝えましょう。