礼拝説教「キリスト者の肖像」(2) 2022年3月20日
聖書 コロサ人への手紙1章11~12節
(序)先週も申し上げましたが、コロサ人への手紙1章9~12節には、パウロの祈りが記されています。そして、それの祈りには、キリスト者のあるべき理想像が込められています。この所を「キリスト者の肖像」と題して七つのポインツのうち、4つのポインツを先週見ましたが、それに続いて、この朝は、残りの3つのポインツを見て参ります。
一、神の栄光の力をもって強くされた者(11節)
第5番目のポイントですが、11節にあるように「神の栄光の支配とあらゆる力をもって強くされる」ことです。太陽は燃えて輝き、その力の勢いは、光線となって地球に届き、その働きは熱となりいのちとなって、すべてのものを支えます。そのように、輝く栄光のうちにいます神様の大能の勢いが、聖霊によって私たちに送り届けられ、私たちに信仰を与え、私たちの霊肉の一切を強め、活かしてくださるのです。
このコロサイの教会は、パウロが書簡を送った教会のうちで最も小さい教会と言われています。直接パウロが伝道してできた教会でもない田舎町の小さな教会、しかも、グノーシス主義という大変な異端が、はびこりつつあるというような状況の教会に、パウロは、「神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ」るようにと祈っています。
「神の栄光の支配」とは、神の栄光の輝きによる勢い、すなわち「神の臨在による栄光の輝き」という圧倒的力です。さらに、「あらゆる力をもって」というのです。すなわちこのデュナミスという言葉は、ノーベルがダイナマイトと命名した爆薬の語源になった言葉です。その様な物凄い圧倒的な神の力によって、「強くされ」というのです。これは、一度だけ強められるというのではなく、継続的に「強められ続けるように」と祈っているのです。
私たちは、時に弱り果てるときがあります。しかし、主イエス様は、「私たちが強くされ続けるように」と祈り続けていて下さるのです。ピリピ4章13節に、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです」とあるごとくです。
二、どんなことにも忍耐し、寛容である者(11節)
続いて11節後半に「あらゆる力によって強くされ」とあるように、主の御力をいただいて強くされ、はじめて「どんなことにも忍耐し、寛容である」ことが出来るのです。「忍耐する」フポメノーとは、「~の下に留る」という意味であり、例えるなら、断崖絶壁が落ちて来ても、恐れなく泰然自若として、そこに留まるという意味です。主の御力によって強められて、どんな困難、迫害、試練の中でも、微動だにすることなく留り続けることができるようにというのです。
「寛容である」マクロスミアとは「気が長い」「根気よく待つ」「辛抱強い」の意味です。
12節にある「喜びをもって」という句は、11節と12節の継ぎ目にある言葉であり、解釈者によって、この「喜びをもって」が11節にかかると見る者と12節にかかると見る者の二通りあります。
口語訳や文語訳は、11節にかかると見て「何事も喜んで耐えかつ忍び」と訳しています。これに対して、最近の訳の聖書協会共同訳や新改訳聖書2017では、12節にかかると見て、「喜びをもって感謝をささげることができますように」と訳しています。いずれも大切な真理であると思います。
要するに、キリストにある喜びを持って耐え忍ぶというのです。第Ⅰテサロニケ1章3節には、「望みの忍耐」とあり、ローマ人への手紙5章3節4節には、「患難をも喜んでいる。患難は忍耐を生みだし、忍耐は練達を生みだし、練達は希望を生み出す事を知っているからである」とあります。さらに、ヤコブの手紙5章11節を見るとヨブの忍耐について言及され、「主が彼になさった事の結末を見て」とあります。 私たちは、 主の御力をいただいて強くされ 、喜んで耐え忍ぶことができるのです。
三、喜びをもって父なる神に感謝をささげる者(12節)
12節を見ると、「光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格をあなたがたに与えてくださった御父に、喜びをもって感謝をささげることができますように」とあります。「相続分」と訳されたクレーロスとは、もともと「くじ」の意味でしたが、転じて「割り当て」とか「相続分」という意味に使われるようになった言葉です。「資格」と訳されたイカノーは、「十分な能力と権利を与える」との意味です。「光の中にある、聖徒の相続分」とは、光り輝く天の御国の市民権を得るということです。この「光の中にある、聖徒の相続分」を頂く資格を与えられているとは、何という驚くべき恵みでしょう。ヨハネ黙示録21章11節以降には、やがて神の栄光によって輝かされる、聖なる都の輝きが描写されています。主に贖われた聖徒は、この輝くばかりの御国の相続に与る資格を与えられているのです。やがて与えられる栄光の相続分に目が開かれて、父なる神に喜びをもって感謝をささげましょう。私たちは、かつては全く闇の世界に属する者でありました。しかし、光輝く御国の嗣業を受け継ぐ者とされたのです。これは、感謝しても感謝し尽くすことのできない恵みです。
パウロは、そのことを覚え、「喜びをもって感謝をささげることができますように」と祈っているのです。
(結論)私たちは、救われた者として、神のみこころについての知識に満たされ、主にふさわしく、喜ばれる歩みをし、あらゆる良いわざに実を結び、神を知ることにおいて成長する者、神の栄光の力をもって強くされた者、どんなことにも忍耐し、寛容である者、喜びをもって感謝をささげる者となりましょう。