礼拝説教「新しいシオンの祝福」2021年9月26日
聖書 詩篇87篇1~7節
(序)詩篇87篇は、わずか7節からなる短い詩篇ですが、色々な読み替えが提案されている、解釈するのに非常に難しい詩篇であると言われます。
3節と6節に、セラがありますので、セラで3つに区切って読んでまいりたいと思います。
一、主に愛される神の都シオン 1~3節
シオンというのは、神の都エルサレムの別名です。
1~3節には、主なる神が、シオンを選び、そこに神の都の礎を定め、シオンを愛し、神を礼拝する場所とされた事を歌っています。「主の礎は聖なる山にある」(1節)とは、主なる神が、シオンを選び、ご自分の御名を置く場所としての礎を据えられたことを歌っています。
まず「シオン」の名が聖書の中で初めて出て来るのは、第2サムエル記5章7節です。ダビデが、エブス人の町であったシオンの要害を攻め取り、ダビデの町と呼びます。そしてそこにソロモンが、神殿を建築します。
詩篇48篇2節では、「高嶺の麗しさは、全地の喜び。北の端なるシオンの山は大王の都」とその麗しさが歌われています。神の都シオンは、主なる神がその礎を据えられ、そこを愛された所です。そこは、主のみ住まい、聖なる山とされ、主はそこからご自身を現わし、そこから救いと祝福を送られました(詩篇128:5)。
「シオンの娘」または「娘シオン」と詩的に呼ばれ、捕囚の民にとっての希望の的であり、終末的希望を示す言葉にもなっていました。「娘シオンよ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたがたのただ中に住む」(ゼカリヤ書2章10節)。
3節に、「神の都よ。あなたについて、誉れあることが語られている」とあり、新改訳第3版では「神の都よ。あなたについては、すばらしいことが語られている」と訳され、聖書協会共同訳では「神の都よ。あなたの栄光が語られる」と訳されています。何が誉れあることであり、素晴らしいことであり、栄光あることだとういうのでしょうか。それは、次の4節以降に歌われています。
二、新たに加えられたシオンの住民 4~6節
4節の「ラハブ」とは、エジプトを意味し、「クシュ」はエチオピアを意味する名前です。ここにあげられた「ラハブ、バビロン、ペリシテ、ツロ、クシュ」は、すべてイスラエルの周辺の国々であり、異邦の国民です。彼らが、「主を知る者」すなわち主を信じる者として覚えられ、これら異邦の民に対して、「この者は、この都で生まれた」と呼ばれるというのです。
さらに、5~6節では、「この者もあの者も、この都で生まれた。…」とあり、6節には、「主が『この者は、この都で生まれた』と記して、国々の民を登録される」とあります。すなわち、異邦の地で生まれた者も、新たに神の都シオンで生まれた者として登録し、神の都の市民権を持つようになるというのです。
ヨハネの福音書3章3節をご覧ください。主イエスが「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と言っておられます。そして、パウロは、コリント人への手紙第Ⅱ 5章17節 において、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(第Ⅱコリント5章17節)と言っています。まさに、これら異邦の人々は、主イエスキリストの十字架の贖いにより、新しく生まれた者とされ、天にある神の都シオンの国籍を持つ者とされるというのです。主イエスの贖いのゆえに、私たちは、新しく生まれ変わらせていただき、「私たちの国籍は天にあります」と言うことの出来る者とされたのです。
三、新たにされたシオンの住民の歌声 7節
7節に、新しくされた者が喜び賛美する様子が描かれています。
救われて、新しくシオンの市民とされた者たちが、救いの喜びのゆえに、力の限りに歌い、踊っているのです。そして、すべての贖われた者が、主なる神に向かって「私の泉はみな、あなたにあります」と信仰を告白すると言うのです。詩篇36篇9節にも「いのちの泉はあなたとともにあり」とあり、主なる神こそがいのちの本源であることを告白しています。それは、エデンの園に湧き出る川が四つの川々の源泉となること、さらには黙示録における神の都、新しいエルサレムの中央を流れる「いのちの水の川」を連想させられます。
(結論)私たちは、新しく生まれ変わらせていただき、「私たちの国籍は天にあります」と言うことの出来る者とされている恵みを覚え、心からの賛美を主に向かってささげようではありませんか。救われて、新しくシオンの市民とされた者として、救いの喜びのゆえに、力の限りに歌い、主なる神に向かって「私の泉はみな、あなたにあります」と信仰を告白しようではありませんか。