礼拝説教「敬虔の奥義」2021年3月21日
聖書 テモテへの手紙第一 3章14~16節
(序)本日も、テモテへの手紙よりお話いたします。
一、真理の柱また土台としての神の教会 14~15節
パウロは、近いうちにテモテのところへ行きたいと願いつつ、この手紙を書いています。パウロは、もし遅くなった場合でも、神の家としての教会において、いかに行動すべきかについて、この手紙を書いていると言って、この手紙を書く目的を明らかにしています。教会の中でいかに振る舞い、行動するべきかは、牧会書簡の精神です。
「神の家としての生ける神の教会」は、「真理の柱また土台です」と教会の重要性を語っています。「土台」「基礎」ヘドライオーマは、ここにのみ使われている珍しい言葉であり、通常使われている「土台」セメリオスとは異なっており、ドナルド・ガスリーによるとこの言葉は、「城壁とか防波堤」を意味すると考えられています。すなわち、しっかりと守って強固な安定したものとする働きの意味を含んでいる言葉です。
教会とは、預言者と使徒という土台、すなわち、みことばの真理の上、またキリストを信じる信仰告白の上に土台しています。そして、教会は、真理を支え、守り、保って継承し、広める使命を帯びているのです。
二、偉大なる敬虔の奥義 16節
パウロは、「偉大な敬虔の奥義」を紹介しています。「敬虔」ユーセベィアとは、すべての事柄の背後ににあって働いておられる神様が今ここに現実にいます意識であり、信仰です。それをベンゲルは「神の臨在の不断の現実感」と言っています。神によって啓示されたキリスト教信仰の中心について、パウロは「敬虔の奥義」と言っているのです。しかもそれは、確かで、偉大な奥義です。16節の「確かに」ホモログーメノースとは、すべての教会が一致して認めているということです。すなわち「確かで、偉大な敬虔の奥義」ということです。
16節のカギ括弧の中は、初代教会の賛美歌の一節と言われています。
1、キリストの受肉降誕
「キリストは肉において現われ」とは、キリストの受肉降誕が歌われています。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネの福音書1章14節)。キリストは肉体を取り、私たちの間に幕張りし、恵みとまことに満ちた独り子としての栄光を明らかにしてくださったのです。
2、キリストの神性と人性
「霊において義と宣言され」とは、ローマ1章4節に「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方」とあるごとく、キリストが御霊の働きによって復活して御子として公に示され、御霊によって義なる方として宣言されたことを述べているのです。1行目の「肉」に対して「霊」が対比されています。まさに、キリストの神性と人性が見事に告白されている信仰告白です。
3、神のご計画の成就としての大いなる御業
「御使いたちに見られ」とは、御使いたちが神のご計画を、時に固唾を呑みつつ、また喜びと賛美の歌声を上げつつ見守っていることを意味しています。キリストの誕生に、ゲッセマネの祈りの場所に、復活の朝にその姿を現しています。まさに、主イエスの救いのみ業を、驚きと神への賛美の心をもって、一心に見つめているのです。第1ペテロ1章10~12節。預言者たちや御使いたちは、神の救いのご計画全体を、はっきりと見たいと願っているのです。
4、あらゆる国の人々に伝えられた福音
「諸国民の間に宣べ伝えられ」ローマ帝国の東の片隅で起こったことが言い広められ、今や、キリストの福音はあらゆる国の人々に告げ知らされています。
5、全世界に及ぶ福音
「世界中で信じられ」とは、福音を聞いて信じ、信仰の応答をする人々が全世界にまで及んでいることが賛美されています。
6、キリストの勝利と栄光
「栄光のうちに上げられた」とは、キリストが勝利と栄光のうちに昇天し、父なる神の右に座しておられることが賛美されています。この勝利と栄光は、十字架という大きな犠牲をとおして勝ち取られたものです。実にそれは、十字架と復活と昇天によるところの「キリストの勝利と栄光」です。
(結論)「真理の柱また土台」として教会の教えの中心は、この「確かで、偉大な敬虔の奥義」なのです。私たちは、このような「確かで、偉大な敬虔の奥義」の恵みを頂いており、これを伝える使命をゆだねられているのです。