説教題「覚悟のキリスト」
聖書 ルカの福音書9章46~51節
わたしたちの人生にはいろいろなことがありますが、時として相当の覚悟をもって、ことに当たるということがあります。しかしその覚悟という点で、イエス様に勝るものはこの世界に見出せないでしょう。
- 毅然としてエルサレムに向かう主
イエス様は天に上げられる日(十字架、復活、昇天という一連の出来事の時)が近づいているのを知っていました。それはイスラエルがエジプトから解放されたことを記念して祝う過越しの祭りの時でした。イエス様は、それを見据えて、ご自身の御顔をエルサレムに向け毅然として進んで行かれました。それはこの上もないご自身の苦難のわざをまっとうするという覚悟が現れでした。
- 弟子たちの無理解のもとに向かう主
イエス様の覚悟とはうらはらに周りの弟子たちはどうであったかというと、彼らはだれが一番偉いかという議論をしていました。これは単純に弟子たちの主導権争いということだけではなく、イエス様によって神の国がもたらされた時の地位を求めてのことであったでしょう。
しかしイエス様がもたらそうとされた神の国は、弟子たちが描いたピクチャーとは全くことなるものでした。それは権力欲につかれ者たちが力をふるう世界ではありません。イエス様の王国はこの世のものとは異なり神の愛に満ちた世界なのです。キリストはそのために毅然と十字架の道を進まれました。
- 十字架の道への抵抗
イエス様が覚悟をもって十字架の道を進もうとされる時、そこに強い抵抗がおこります。
神の国が建つことは、同時に悪の勢力が無力化されることを意味しますから、サタンも必死です。荒野でのイエス様の試みの後、あの手この手をつかってイエス様の働きを阻止しようとし、ついには十字架上のイエス様にさえ「十字架からおりよ!」と挑発します。
しかしキリストは待ち構える困難に対して、毅然とご自身の進むべき道に進まれるのです。神様の愛ここにありです。
