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日本イエス・キリスト教団 | 神戸生田教会
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主こそ私の避け所

2024 1/20
礼拝メッセージ

礼拝説教「主こそ私の避け所」2024年1月21日

詩篇142篇1~7節

(序)表題の「マスキール」は、意味不明。「彼が洞窟にいたときに」とは、ダビデが、サウルの追跡から逃れ、アドラムのほら穴に避難した時の歌であろうと思われています(Ⅰサムエル22:1)。当時、ダビデは、サウル王から逃れ、急遽ガテのアキシュのもとに行きます。そこでダビデは、アキシュを恐れ、気がふれたふりをしています。ダビデは、危険と孤独とふがいない状況の中にいました。

  • 苦境の中からの叫び(1~2節)

まず、ダビデは、「声をあげて、私は主に叫びます。声をあげて、私は主にあわれみを乞います」(1節)と切に祈っています。危険と孤独の中で、主に向って、大声をあげて、助けを叫び求めているのです。

2節、詩人は、主の御前に、「自分の嘆き」を注ぎだし、「私の苦しみ」を御前に言い表しています。私たちは、どの様な苦しみの中にいて、他の人に相談し、嘆きを聞いてもらえるような状況になくても、いつでもどこでも、どのような状況でも、祈ることが許されています。

実に、私たちの主は、私たちの個人的な苦しみや嘆きを聞いて下さる方です。あふれ出る嘆きを受け止めてくださる方です。詩篇50篇15節には、「苦難の日に、わたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出し、あなたはわたしをあがめる」とあります。主は私たちの祈りと嘆きの声を聞こうとして、身を乗り出して下さっているお方です。

二、私の道を知り、御手を伸ばしてくださる主(3~4節)

 3節に「私の霊が私のうちで衰え果てたとき」とあります。

ダビデは、深い苦しみによって魂が衰え果てています。そのような時にも、主は、助けの御手を伸ばし、励ましてくれる友を遣わしてくださいます。「サウルの息子ヨナタンは、ホレッシュのダビデのところに行って、神によってダビデを力づけた」(Ⅰサムエル23章16節)とあります。この時のダビデにとってヨナタンの励ましはどんなにおおきな力となったことでしょう。しかも、ヨナタンは、人間的な励まし以上に、「神によってダビデを力づけた」というのです。私たちも、信仰の友を、このように、「神によって…力づける」ところのお互いとなりたいものです。

3節に「あなたこそ、私の道を知っておられる方です」とありますが、主が、私たちのことを全て知ってくださっているということは、私たちにとっての大きな慰めであり、希望です。

4節で、ダビデは「私には顧みてくれる人がいません。…私のいのちを気にかける人もいないのです」と嘆き、まったく孤立した状況に立たされています。しかし、3節には「私の霊が私のうちで衰え果てたときにも、あなたは、私の道をよく知っておられます」と主に対する信頼の言葉を述べています。主が、私の道を知り、目を注いで私のことを気にかけ、助けの御手を伸ばしてくださるという信仰の確信は、ダビデを強く立たせたのです。主が私の道を知って下さっているという信仰は、私たちをも堅く信仰に立たせてくださるのです。

三、信仰による勝利(5~7節)

5節で、ダビデは、「あなたこそ私の避け所、生ける者の地での私の受ける分」とあります。すなわち、主が私の避け所であり、また嗣業でです(詩篇16:5、73:26)というのです。ここにダビデの信仰があります。

詩篇62篇をご覧ください。1節に「私のたましいは黙って、ただ神を待つ」とあります。1,2,4,5,6,9節に「ただ」あるいは「こそ」と訳されたアフというヘブル語の言葉が繰り返されています。ダビデは、その意識を、ただ神に集中し、神を信頼しているのです。7節には、「私の力の岩と避け所は、神のうちにある」と言い切っています。ダビデは、岩のように動かされることのない力の岩と避け所を神のうちに見いだし、体験したのです。ですから、民全体に対して、「民よ、どんなときにも、神を信頼せよ。あなたがたの心を、神に御前に注ぎ出せ、神はわれらの避け所である」と勧めているのです。 

詩篇の16篇5~6節もご覧ください。5節に、「主は私への割り当て分、また杯」とあります。イスラエルの12部族は、約束の地に入った時、それぞれ土地の分配を受けました。しかし、レビ族だけは、嗣業の地は受けませんでしたが、神様ご自身が彼らの相続地であると言われています。そのように、ダビデは、「主よ。あなたこそ私の嗣業、私の割り当て地です」と言っているのです。すなわちこれは、「主よ。あなたがわたしの全てです」ということです。6節には、「割り当ての地は定まりました。私の好む所に。実にすばらしい、私へのゆずりの地です」とあります。文語訳には「はかり縄はわがために楽しき地に落ちたり、うべわれよきゆずりを得たるかな」とあり、新共同訳には、「測り縄は麗しい地を示し、私は輝かしい嗣業を受けました」となっています。「私は自分が望んでいた最善最高の割り当て地をいただいた」ということです。

さて、もう一度、詩篇142篇6~7節に戻ってください。ダビデは、なお苦難の中にあります。すべてが解決したわけではありません。ですから、ダビデは、6節において、「私の叫びに耳を傾けてください。私はひどくおとしめられていますから。…迫害する者から救い出してください」と主の助けを切に求めています。

しかし、7節で「私があなたの御名に感謝するようにしてください」と祈っています。ここには、既に、主は助け出してくださるとの信仰のゆえに、主の御名に感謝しようとするダビデの心が表れています。そしてさらに、7節後半では、「正しい人たちは、私の周りに集まるでしょう。あなたが私に良くしてくださるからです」と信仰による勝利の言葉を述べています。主が、私に注いでくださる恵みのゆえに、主を信じる正しい人々がダビデの周りに集まって来ると確信しているのです。まさに信仰による勝利がここにあるのです。

(結論)私たちも、主を避け所とし、嗣業とし、信仰による勝利の生涯を送りたいと思いますに

礼拝メッセージ
  • 御霊による一致を保つ
  • 行くべき道を知らせ給え

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