礼拝説教 「速やかに来り給え」 2023年12月31日
聖書 詩篇141篇1~10節 年末感謝礼拝
(序)本日は、年末感謝礼拝です。この一年、様々なことのあった中に、主が力強い御手をもって守り導いてくださった事を感謝いたします。この詩篇は、罪と悪しき者から救われ、敬虔な歩みが出来るようにとの祈りの詩です。
- 苦難の中での祈りの声(1~4節)
1節、詩人は、「主よ。私はあなたを呼び求めます。私のところに急いでください」と祈っています。詩人は、主が、御顔を向け、耳を傾けて、祈りの声を聞いて下さるようにと切に祈っているのです。
2節、祭司が、香をたき、手をあげて夕べのささげ物をささげるように、詩人の祈りが主のみ前に届き、受け入れられ、願いが聞き入れられますようにと願っています。3節、口に見張りをおいて、悪しきことを語らないようにしてくださいと祈り、さらに4節で、詩人は、自分の心が、悪いことに向かい、悪しき行いをしないように、また悪しき者がもたらす一時的な繁栄に惑わされないように、守ってくださいと願っています。要するに、敬虔な歩みが出来ますようにとの祈りです。
この年末、来るべき年に向けて、私たちは何を祈るのでしょうか。
何よりも敬虔な歩みが出来るようにと祈り物でありたいと思います。
二、神の訓練を耐え忍び、主に従順に従う(5~7節)
5節、詩人は、正しい人が、愛をもって忠告する戒めを、拒むことなく、受け入れることが出来るようにと願っています。神の懲らしめと訓練は、時として苦しみをともないますが、究極的には益となります。
ヘブル人への手紙12章5~11節をご覧ください。愛する者を訓練する主の訓練というものがあるのだから、主の訓練を軽んじたり、気落ちしたりしないで、耐え忍びなさいと勧めています。神様の訓練は、愛すればこその訓練であり、それを通して鍛えられ、義と平安の実を結ぶようになるというのです。
ですから、141篇の詩人も、たとい、悪のために悩まされても、神の訓練と思って、耐え忍び、つねに主を信頼し、主に目を向けて主に向かって祈りますというのです。
6節、悪しき指導者達が失脚し、神の訓練のときが終るので、詩人は喜びの声をあげるのです。7節は、神の民が非常な苦境に立たされていることを述べています。
三、主なる神を避け所とする (8~10節)
8節、しかし、詩人は、どの様な中でも、主を見上げ、主に信頼しています。「私の主 神よ まことに 私の目はあなたに向いています。私はあなたに身を避けています。私のたましいを危険にさらさないでください」(8)と詩人は、主に身を避け、主の守りの御手の中に逃げ込んでいます。
8節を聖書協会共同訳では、「主よ、わが主よ、あなたに目を向け、
あなたのもとに逃れます。私の魂を捨て置かないでください」とあります。
詩人は、危機一髪というような状況にあって、主の御許に逃れているのです。私たちのために、主は、いついかなる時にも、私たちの避け所となり、御翼の陰にかくまってくださいます。
9~10節、詩人は、悪しき者の策略から守られ、危機一髪というような状況から、主の力強い御腕によって救い出されたことを歌っています。
最後に、この年を締めくくるにあたり、心に留まったみことばは、1節の「私のところに急いでください」という一句です。文語訳では、「ねがわくは、速やかにわれにきたりたまへ」とあります。「年の瀬に終末を思う」とでも言いましょうか。世界の様々な出来事を見聞きする時に、霊的リバイバルの訪れと王の王であり、平和の君である主イエスのご再臨を待ち望む以外にないような時代であることを思います。
詩篇141篇1節の「私のところに急いでください」という一句は、黙示録22章20節の「『しかりわたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ、来てください」とのみことばに繋がっているのではないでしょうか。
(結論)この一年、主の守りの御手が絶えず私たちと共にあったことを覚えるとともに、「私のところに急いでください」と、2024年に向け、主とその御力を期待して進もうではありませんか。