礼拝説教 「一つとなって共に生きる祝福」 2023年9月17日
聖書 詩篇133篇1~3節 敬老特別礼拝
(序)本日は、敬老特別礼拝です。互いに「一つとなって共に生きる祝福」を見て行きたいと思います。
- 兄弟が一つになって住まう幸い(1節)
1節、「見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。
兄弟たちが一つになって、ともに生きるとは。」(新改訳2017)
「見よ、兄弟が和合して共におるのは、いかに麗しく楽しいことであろう。」(口語訳)「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵、なんという喜び。」(新共同訳)「兄弟が共に住むことは 何という幸せ 何という麗しさ。」(聖書協会共同訳)
ダビデの詩とされていますが、捕囚後の作であるとも言われます。捕囚によって、離散してい民が、エルサレムを再建し、一つになって、喜ぶようすを歌っていると考えられています。一つになって共に礼拝をささげることは、大いなる喜びであり、祝福です。2020年からコロナウイルス感染の影響で、リモートでの礼拝や集会、会議が増えました。漸く今年になって顔と顔を合わせて、共に集まることが出来るようになりました。共に集まるということの大切。さを実感している所です。どこまで、コロナ以前に戻れるか色々と考えさせられます
ヨハネの福音書17章11節、21~23節において、主イエスは、弟子たちが一つになることを祈っておられます。さらに、使徒の働き2章46節では、初代教会の人々は、心を一つにして神を礼拝し、聖餐に与り、喜びと真心をもって愛餐の食事をしていました。
二、アロンの頭に注がれた油のように(2節)
2節、大祭司の任職において注がれる油のように、香り豊かで麗しい様子を歌っています。出エジプト記29章7節には、アロンを大祭司として任職する際の油注ぎが記されており、出エジプト記30章22~30節には、聖なる油を調合する場合の配合が記されています。特別のアロマオイルということです。とにかくアロンの頭に注がれた聖なる油は、アロンの髭から髭へ、長服青服、エポデへとかぐわしい香りを放ちながら滴り落ちて行きます。聖所全体がうっとりとかぐわしい香りで満たされます。そのような楽しく、麗しい礼拝、兄弟姉妹との交わりだというのです。
三、ヘルモンの露のように(3節)
さらに3節には、兄弟姉妹の交わりが、ヘルモン山から降り注がれる露のようにしっとりと人々に祝福と恵みをもたらすというのです。「ヘルモンから」とありますが、ガリラヤ湖の北に位置する標高2814メートルの山です。ここには、雨や雪が多く、露もしっとりと降り注がれます。まさに、ヘルモンからシオンに、神の恵が豊かに注がれることを歌っているのです。
そして、3節後半に、「主がそこに、とこしえのいのちの祝福を命じられたからである」と、主なる神から すべての恵みと祝福が注がれることを明確にしています。かつて、増田誉雄(ますだ やすお)という先生のお話しをお聞きしたことがありますが、「御聖霊は、夜露のようにしっとりと降られます」という米田豊先生の言葉を教えて頂きました。
御聖霊は、火のごとく、あるいは風のごとく降られますが、同時に、時として、御聖霊は、「夜露のようにしっとりと降られ」私たちを潤してくださいます。
最後に、エペソ人への手紙1章7~10節と3章16~19節、4章1~13節をお開き下さい。1章から4章までに「恵み」が11回、「愛」が11回、そして、1章10節には「一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです」とあります。ギリシャ語でアナケファレイオシス、ラテン語でレカピトゥラティオ(再複、要約)と言い、「アダムの業をキリストが根本からやり直す」という意味で、「キリストこそ全歴史の中心であり、ゴールである」ことを二世紀の教父イレナェウスが語りました。すべては、キリストにあって、一つに集められるのです。そして3章16~19節にあるように、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知らせて下さるのです。ですから、4章1~13節にあるように、一つ望み、一つからだ、一つ御霊、一人の主、一つの信仰、一つのバプテスマとして頂いて、一人の成熟した大人としてキリストの身の丈まで成長させてくださるのです。
(結論)主の豊かな恵みと愛を頂き、互いに一つとなり、キリストの良き香りを放ち、潤いある存在、人を潤す存在として頂きましょう。それこそが、主に愛され、人々に愛されるクリスチャンです。