聖書 ルカの福音書24章3~35節
イエス様の十字架の贖いの真の意味を理解することの出来なかった当時の弟子たちは失望しました。エマオ途上に向かうクレオパともう一人の弟子も同様でした。
- 弟子たちの大きな失望
エマオ途上で弟子たちに現れたイエス様ですが、弟子たちはそれと分からず、彼らの失望はとどまりませんでした。その失望とはイエス様が過ぎ越しの祭りにエルサレムに来たことで、長い間待ち望んでいた異教の国からの支配からイスラエルがついに解放されるということが裏切られたことでした。その期待通りにエルサレムに歓呼をもって迎えられ宮清めなされたイエス様がローマへの反逆を企てた政治犯として無残にも十字架刑に処せられてしまったのでした。
- 復活の主による聖書全体の解き明かし
二人の弟子の失望をごらんになったイエス様は、ご自分のご苦難と復活について解き明かしをなされました。それは聖書の部分部分を取り上げてキリストのみわざに結び付けるだけではなく、聖書全体に書いてあることでした。
この聖書全体は何を語っているでしょう。それは一言で言うと神様の創造のみわざです。天と地を創られた神は、神の像として人を造りこの世界を治めさせ、神ご自身も人と共に歩もうとなされました。しかし人間の罪故にこの世界は神のご意思に反し腐敗しました。しかし神はアブラハムを選び、イスラエルを興し、ダビデの子孫からまことのメシア、イエス・キリストをこの世に与えてくださいました。そしてキリストの十字架の死と復活によってこの世界を罪から解放し新しく作り変えてくださったのです。
- 燃やされた心
復活の主の聖書の解き明かしを聞いた時、彼らの心は燃やされました。そしてその方がイエス様と分かるや、ただちに立ち上がりエルサレムに戻りました。失望して涙したエルサレムに心燃やされて戻っていく。
私たちも十字架と復活の福音を聞く今、立ち上がってキリストを証しする者とさせていただきましょう。