礼拝説教「全てを知っておられる神」2023年11月19日
聖書 詩篇139篇1~24節
(序)この詩篇は、「詩篇の冠である」とか、「詩篇の中で最もすばらしい詩篇の一つである」と称賛されている詩篇です。神の全知、遍在、創造の神秘などが、個人的な体験として歌われています。
- 全知全能の神(1~6)
- 詩人は、主が、彼の全てに関心を持ち、究め、知っておられることを歌い、神に知られている幸いを感謝しています。
2節、「あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、…」主は、私たちの生活の全てを知っておられます。思いさえも、読み取られます。3節、私たちの日常の全生活、歩んだり、伏したりすることも、見分け、見守っていてくださいます。主は、私たちの営みのすべてをご存じです。詩人は、「私の道のすべてを知り抜いておられます」(3節)と、神様が、詩人のすべてを知り抜いておられるお方である事を告白しています。
4節、舌が一言も発する前に、主は、見よ、そのすべてを知っておられると驚いています。神様は、私たちの行為や行動のすべてを知り、思いさえも探り知られる方であると言っています。
5~6節、主は、前から後から、私たちを取り囲み、御手を私たちの上に置いてくださいます。実に、神様は、前から後ろから取り囲んでおられる方です。どんなに人の目に隠れていようと、神様は、私たちの奉仕と愛と信仰を知っておられる方です。
そのような驚くべき知識は、あまりにも不思議、あまりにも高くて、およびもつかないというのです。
二、そこにいます神(7~12)
神様がどこにでもおられる事を「偏在」といいます。主なる神様は、私たちが何処にいてもそこにおられます。7~8節、神はどこにでもおられるお方であるから、神の御前から逃れることは出来ないというのです。
9~10節、「暁の翼を駆って」光りのような超人的な速さで海の果てに行こうとも、主の御手が私を導き、主の右の手が私を捕らえるというのです。
特別私たちに近く御自身を現わされることを「臨在」と言います。
10節、たとえ私たちが神様に見捨てられたと思えるような状況に立たされても、主は、御手をもって私たちを捕らえ、支え導き、「わたしがここにいるよ」と仰って下さる方です。
11~12節、主にとっては、やみも暗くなく、実に光りと同じです。
主は、全てを知り、全てを支え守り、導いてくださる方です。
三、創造者なる神(13~18)
13節、主は、「私の内臓(腎臓)」を造り、母の胎内の中で「私を組み立てられた方です」というのです。
14節、詩人は、神様の恐ろしいほどの神秘をもって、私たちを創造されたことを覚えて感謝しています。15節、地の深いところで、刺繍のように織り合わされ、骨組みのすべてが知られているというのです。
16節では、実に、生まれる前から、すべてが書き記されたというのです。創造者なる神は、私たち内蔵を造り、胎内で組立てられたというのです。最近ヒトゲノムという事が会話に上るようになっていますが、何と遺伝子の中に書かれた設計図が解明されつつあるというのです。単に私たちの身体だけではありません。神様は、私達の人生に対しても、ご自身のご計画を持っておられます。そして、そのご計画は広大です。その全ての詳細を、私たちは知る事が出来ません。ただ信頼して進む以外にありません。17節にあるように「そのみ思いの統べくくりは如何に大きかな」です。神様の摂理の御手は、最善以下をなさいません。主に信頼いたしましょう。
今、『神戸生田教会百年史』を編纂していますが、「竹田俊造先生の太平洋戦争の終結の年の日記」の9月2日の頁に、詩篇37篇4~5節が記されており、俊造先生が、このみことばに支えられ、励まされておられる様子がうかがえて、大変感動いたしました。特に、4節のところが文語訳で「エホバによりて歓喜(よろこび)をなせ。エホバは汝が心の願いを汝に与えたまわん」と書かれています。英国ウースターの主教スチアート・ペローネは、「主にあって、あなた自身喜びなさい。主が愛して選ぶものをあなたが愛して選ぶことにより。そうするなら、主はあなたの心の願いを叶えてくださる」と解説しています。
まずは、主ご自身の御顔を求め、その御心を知り、主の愛し選ばれるところのものを選び取り、主ご自身を喜ぶ者となりましょう。そして、主を信頼いたしましょう。神様の摂理の御手は、最善以下をなさいません。主に信頼いたしましょう。
四、神の摂理的ご支配(17~22節)
17~18節に、全知全能であり遍在される神の摂理的な御支配が、驚きをもって歌われています。17節、「神よなんじのもろもろのみおもいは、われに貴きこといかばかりぞや。そのみおもいの総計(すべくくり)はいかに多きかな」(文語訳)「あなたの御計らいは、わたしにとってはいかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。」(新共同訳)
英国ウースターの主教スチアート・ペローネは、「これらの表現は、麗しさと力のゆえにだけでなく、深く思い巡らせた神の属性の現実のゆえの個人的な感情の表現である」と言っています。
ローマ人への手紙11章33節。詩篇36篇5~7節。詩篇92篇5節。
23~24節、「神の御旨に従った歩みが出来るように、とこしえの道、いのちの道へと導いてください」との祈りです。
(結論)このようなすべてを知っておられる主の御手に導かれて今日まで来たことを覚えて感謝し、これからも守り、導いてくださる主の摂理の御手に身を委ね、主に信頼しつつ進みましょう。