礼拝説教「受け継いだ信仰の遺産」④―聖霊の満たしー
2023年10月1日
聖書 エペソ人への手紙5章18~21節
(序)本日は、「受け継いだ信仰の遺産」ということで、「聖霊の満たし」について申し上げたいと思います。聖霊は、私たちのクリスチャン人生のすべてに関わってくださっています。ですから、ご聖霊様のすべてについて、この一片の説教で語り尽くすことは不可能です。しかし、大切な要点のみをお話し致します。
一、聖霊のバプテスマ(使徒の働き1章4~8節)
ご聖霊様の働きは、多様であり、また自由自在です。ですからご聖霊様による私たちクリスチャン経験は、多様です。従って、私たちクリスチャン経験の表現も様々です。
「聖霊のバプテスマ」という表現があり、「聖霊の満たし」という表現があります。使徒の働き1章5節では、主イエス様が「あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられます」と言われ、2章1~4節のペンテコステの日に、聖霊が降り、「皆が聖霊に満たされた」とあります。すなわち、「聖霊のバプテスマ」も「聖霊の満たし」も同じ経験を言っているのです。
「聖霊のバプテスマ」は、キリストの死とよみがえり与る個人的人格的、転機的恩寵としての聖霊経験です。「聖霊の満たし」は、ご聖霊が降り、臨んで下さって、上からの力と恵みと愛に満ち満たされることです。それは継続的恩寵であり、成長させ、円熟させてくださるご聖霊の恵みです。
先日もお話ししましたように、時に、ご聖霊様は、火のように、あるいは風のように激しく降られますが、同時に夜露のようにしっとりと降り、私たちを潤し、満ち満たして下さるのです。
二、もう一人の助け主なる聖霊
(ヨハネの福音書14章16~17節、26節
16節に、「もう一人の助け主」とあります。これは聖霊なる神様のことであり、パラクレートスというギリシャ語が用いられています。これは、「側に呼出されたもの』との意味です。助け主であり、慰め主であり、弁護者であり、恵みを保ってくださる方である聖霊様のことです。主イエスは、弟子たちにとって、様々な問題や嵐に遭遇したとき、常に慰め主、助け主でいました。「我なり、恐るな」と励まし助けてくださったご存在でした。しかし、今や、別に助け主であるご聖霊を送ってくださると約束し、何時までも共におらせてくださると言うのです。
17節にあるように、ご聖霊は「真理の御霊」と呼ばれ、私たちにすべての事を教え、イエス様の言葉を思い起こさせてくださいます(26節)。まさに、ご聖霊は、私たちの側に立って、片手をわたしの肩に回し、他の一方の手をもって、すべての真理を指し示してくださるのです。十字架による救いと、神の恵みの一切を明らかにしてくださるのです。私たちの信仰の目を開いて、み言葉の事実を教え、神の臨在を明らかに示して下さるのは、ご聖霊です。
三、聖霊の満たし(エペソ5章18~21節)
先ほど、「聖霊のバプテスマ」は、キリストの死とよみがえり与る個人的、人格的、転機的恩寵としての聖霊経験であり、「聖霊の満たし」は、ご聖霊が降り、臨んでくださって、上からの力と恵みと愛に満ち満たされることで、それは継続的恩寵であり、成長させ、円熟させてくださるご聖霊の継続的恵みの御業です。
では「聖霊に満たされた人」の生活とはどの様なものでしょう。
1、讃美の人(エペソ5:18~19)
「聖霊に満たされた人」は、賛美と喜びに満たされた人です。それは単なる感情的な喜びでなく、霊的な喜びに満たされた人です。「聖霊に満たされた人」は、神ご自身を喜び、キリストの苦しみに与るものとされたことの喜ぶ人です。いよいよ深く、いよいよ広く、いよいよ強く神との交わりを喜び、「互いに語り合う」というクリスチャンの交わりを喜ぶ人です。
2、感謝と喜びの人(エペソ5:20)
20節に「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい」とあります。「これは、新しい喜びの継続だ」とインウードという先生は言っておられます。
<例話あかし>聖霊に満たされた人:感謝と喜びの人:エペソ5:20
インウード先生が、ある時祈りの場所を探して野原を歩いていますと、一羽の小鳥が足元から突然に飛び出して空に舞い上がって、さえずり始めたと言うのであります。そのうち黒い一点としてしか見えなくなったがなお、その小鳥の歌声ははっきりと聞こえてきたと言うのです。そのうち空は曇り、雷が鳴り出しました。それでもその小鳥の鳴き声は、雷の合間に聞こえていたそうです。やがて雷はやみましたが、なお小鳥は歌い続けていたと言うのです。インウード先生は言われます。「皆さん、暴風の前に歌うことは誰でもできます。暴風の後にも歌うことができます。しかし、この鳥のように暴風の最中にさえ歌うことのできるのは聖霊に満たされた人です。暴風もこれを止める事はできません。聖霊に満たされた人は、こういう喜びを持っているので、何物もその喜びを妨げることはできません」と。聖霊に満たされた人は、どんな時にも、継続して喜び感謝する者とされるのです。
3、互いに仕え合う人(エペソ5:21)
聖霊に満たされた人は、「互いに仕え合う人」です。互いに相手を立て、仕え合う姿勢は、麗しい姿ではないでしょうか。その姿勢は、具体的に22節以下に記されています。21節に「キリストを恐れて」とあるように、それは、すべての事の中に主の御主権を認め、他の人に「ゆずる」ことではないでしょうか。英国の紳士は、アフター・ユー「あなたの後から参ります」と言います。何気ない言葉の端に、聖徒の片鱗を見させていただいた思いがしました。
4、信仰の戦いを立派に戦いぬく人(エペソ6:10~)
6章10節に、「神のすべての武具を身に付けなさい」とありますが、ここに神の武具の七つ道具があると言われています。その中に、御霊と関連して、御言葉と祈りがあげられています。ですから、御霊に満たされている人は、みことばと祈りの奉仕において信仰の戦いを立派に戦う人ではないでしょうか。
<例話あかし>
最後に、チャールス・インウード先生の言葉を竹田俊造先生が訳された詩を紹介しておきましょう。
「一度受けて、一度限りでいつまでも続くものでないと、覚えて貰いたい。 キリストご自身の間断なき供給を間断なく所有する。ここに盈満がある。
時々刻々に潔められて、
時々刻々に満たされるために
時々刻々の救い主に対する 時々刻々の信仰
われ彼に信頼する時に 彼われを満たす
われ彼に信頼する間に 彼われを満たす
われ信じ始める瞬間 その瞬間に われ受け始めるなり。
われ信じ続ける間 ハレルヤその間 われ受け続けるなり。」
(エペソ5:18 竹田俊造訳)
(結論)時々刻々に満たされるために、時々刻々の救い主に対する時々刻々の信仰をもって、「聖霊の満たし」に与り続ける者として頂きましょう。