永遠に変わらない主のみことば

礼拝説教「永遠に変わらない主のみことば」2023年5月 7日

聖書 詩篇119篇73~96節

(序)詩篇119篇より、本日を入れては、あと4回お話するように導かれています。

本日は、73~96節を見て参りたいと思います。毎回申し上げていますように、この詩篇119篇全体は、「聖書のみことばが、私たちにとって如何なるものであるか」ということが歌われています。

一、主の御手(73~80)

73、詩人は、まず、自らが主の御手によって造られたものであることを述べています。詩人の信仰の根底に、創造主なる神への信仰があります。「主の御手が、私を創造し、形作ってくださった」という信仰があります。139篇13~16節もご覧ください。ここにも主なる神の御手による創造の御業によって自らが造られた事が歌われています。私たちは、自分で自分を案外知らないことがあります。しかし、私たちを母の胎内において、創造し組み立てられた方は、私たちの全てをご存知の方です。まずそのことを認める時に、

神様のみことばを真剣に求めるようになります。そのようなみことばを真剣に求める人の姿を見て、「主を恐れる人」すなわち同じ信仰の道を歩む人々は、喜ぶというのです。

75を見ると、詩人は、悩みでさえも、神様が真実をもって与えなさったものであることを言い表しています。詩人は、悩みの中でも創造者なる神への絶対的信頼を失っていません。ですから、詩人は、76節で「しもべへの約束」にしたがって、「あなたの恵みが私の慰めとなりますように」と祈っています。

77節、詩人は、主があわれみを臨ませて下さる時に、生きるようになることを知っています。ですから、「あなたのみ教えは、私の喜びです」と言うのです。

78~80節、詩人は、神を恐れる人々が誤解して一時は離れて行くという経験をしましたが、誤解が解かれ、交わりの回復が与えられるようにと願っています。そして、自らの心が、主のみ前に、「全きものとなりますように」と祈っています。

二、煙の中の皮袋のようになっても(81~88)

詩人は、迫害の中で、主のみことばと助けを待ち望んでいます。

81節、詩人は、「救いを慕って絶え入るばかりです」と叫んでいます。詩人は、困難や迫害に遭遇する中で、主のみことばと助けを待ち望み、切に慕い求めています。私たちも、様々な困難に遭遇した時、まず静まって、みことばを切に求めましょう。

81~82節、詩人は、繰り返し「慕って絶え入るばかりです」とみことばと救いと慰めを求めています。

83節、「煙の中の皮袋」とは、使い古されて、天井につるされた皮袋が、煙とすすで汚れるようになることを意味しています。すなわち、そのように年老いてヨボヨボになっても「あなたのおきてを忘れません」と言うのです。84節で、詩人は、自らの残された日数に目を留め、「このしもべの日数はどれだけでしょうか」と問いかけ、主の助けと正しいさばきを待ち望んでいます。そこには、みことばの真実に対する堅い信仰があります。そして88節、詩人は、「あなたの恵みによって、私を生かしてください」と言っています。

   

三、神のことばの永遠性(89~96)

ここで詩人は、みととばの永遠性、真実性を歌っています。

89節に至って、詩人は、みととばの永遠性、真実性に目を向けています。「主よ。あなたのみことばは、とこしえから、天において定まっています」と神のみことばの永遠である

ことを歌います。さらに90節、詩人は、「あなたの真実は代々に至ります」と神の真実の不変であることを歌っています。神の真実が変わりのないことは、神の創造された地が堅く据えられていることで分ると言うのです。91節、神の創造された天地万物は、「今日も、あなたの定めにしたがって、堅く立っています」と歌っています。詩人は、「万物はあなたのしもべだからです」と、万物が神の御支配のもとにあることを述べています。

92節で、詩人は、みことばが喜びとなり、支えとなったことを証ししています。

93節で、詩人は、「私は決して、あなたの戒めを忘れません」と決意を述べ、「それによって、あなたが、私を生かしてくださったからです」と感謝と信仰を言い表しています。

94節では、「私はあなたのもの」と告白しています。そこには、主に対する全き信頼が表れています。95節、詩人は、「しかし私は…聞き分けます」(認める。識別する。深い意味に気づく)と主のみことば深い意味を知ろうとして耳を傾けています。

96節、詩人は、すべての造られたものには限界があり、終わりがあることを知っていますが「あなたの仰せは実に広いのです」と、みことばは、無限であると語っています。

(結論)私たちは、限りあるものです。「煙の中の皮袋」のように朽ち果てます。しかし、主とそのみことばは永遠です。最後に新約聖書を開きます。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」(マタイの福音書24章35節)

「あなたがたが新たに生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。『…草はしおれ、花は散る。しかし主のことばは永遠に立つ』とあるからです。」(第Ⅰペテロ1章23~25節)