礼拝説教「旅の家での歌」2023年4月30日
聖書 詩篇119篇49~72節
(序)この119篇は、アルファベット22文字で区分され、それぞれアルファベットの文字で始まっていおり、この詩篇全体は、「聖書のみことばが、私たちにとって如何なるものであるか」ということが歌われていると申し上げました。本日は、49~72節を見て参りたいと思います。
一、旅の家での歌(49~56)
49~50節、詩人は、「あなたのしもべへのみことばを思い出してください」と述べ、みことばを待ち望むようになさったのは、神様ご自身ですから、あなたが私にくださったみことばを思い起してください」と訴えています。そして、「みことばこそが慰めであり、みことばこそが私を生かします」と歌っています。私たちも、様々な困難に遭遇した時、みことばを求めましょう。そして主からのみことばをいただいたならば、
もうひつこいほどに、そのみことばを固く握つて、「みことば通りにことを行ってください」と祈ろうではありませんか。
51~53節、詩人は、苦難の中にあります。その中で、「みことばが慰めである」と歌っています。
54~56節、詩人は、みことばは、様々な困難や悲しみ、危機の待ち受ける「旅の家」で、「私の歌となりました」と歌っています。詩人は、それほどに、みことばに励まされ、生かされ、もてなされているのです。55節、先の見通せない真っ暗な夜にも、主の御名を思い出し、みことばを守っていると言うのです。先日も、31節の「固くすがります」とあるところで、「ピターッとくっ付ける」ことです。どの様な状況にお置かれても、みことばに私たちの思いと私たち自身を「ピターッとくっ付け」ましょう、と申し上げました。先の見通せない真っ暗な夜にも、主の御名を思い、主とそのみことばに「すがりつく」のです。
「これこそ、私のもの」と言うほどにみことばを自分のものとしましょう。
二、急いで、ためらわずに(57~64)
57節、詩人は、56節の内容を引き継いでいます。「主とそのみことばは私への割り当てです。私のものです」と信仰を言い表しています。ですから、58節、詩人は、「みことばのとおりに、私をあわれんでください」と言います。何という主に信頼した言葉でしょう。
59節、詩人は、自分の歩んできた道を思い返し、反省し、主のみことばに立ち返ることを決心し、「あなたのさとしのほうへ足の向きを変えました」と言うのです。自分のこれまでの生き方を変えたのです。私たちの信仰の出発点は、この悔い改めにあります。「悔い改め」とは、「ああ、今までの私の歩みは間違っていた」と悔いるだけではありません。
悔いて改めること、悔いて方向転換をすることです。
60節、詩人の「急いで、ためらわずに」とは、何と信仰ある行動でしょう。私たちは、しばしば方向転換をしなければと思いつつ、躊躇し、つい先延ばしにしてしまいます。しかし、詩人は、「急いで、ためらわずに」と言うのです。私たちは改めるに時を失わないようにしましょう。
61~62節、詩人の周りに悪者の綱が巻き付いてきましたが、詩人は、み教えを忘れないで勝利したことを告げています。
63~64節、詩人は、孤独ではありません。孤立していません。主を恐れ、みことばを守る仲間があります。私たちにとって、それが教会における信仰の交わりです。そのようにみことばに従って歩む者にとって、地は恵みに満ちています。
三、善にして、善なる神(65~72)
65節、詩人は、主が行ってくださった恵みの御業に目を留め、「みことばのとおりに、あなたのしもべに良くしてくださいました」と感謝しています。私たちがいつも恵まれる秘訣は、主が行ってくださった恵みの御業に目を留め、感謝することです。まさに「常に喜べ、絶えず祈れ、すべての事を感謝せよ」とあるごとく、主の恵みの御業に目を留めて、祈り感謝することです。
66節、詩人は、「良い判断と知識を私に教えてください」と求めています。起こってくるすべての出来事に対して、信仰の「良い判断と知識を与えてください」ということです。
76節、詩人は、この世の苦しみや悩みを何も知らない雲の上の人ではありませんでした。迷い出たことがありました。また苦しみにも遭いました。しかし、よく見てください。「苦しみにあう前には」です。「苦しみにあう前には」、みことばを見る目、信仰の見る目が定まっていなかったのです。ですから、71節をご覧ください。「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました」と言っています。苦しみの経験を通して、彼の信仰の目は、開かれ、定まったのです。善にして善を行われる神様に、彼の目は焦点が合わせられ、定められたのです。
68節に、「あなたはいつくしみ深く、良くしてくださるお方です」とあります。口語訳には「あなたは善にして善を行われます」とありました。神様は、「善にして善を行われる方」、慈しみ深い方であり、慈しみを行ってくださる方です。信じて御頼りすれば、悪いようにはなさらない方です。このお方に私たちの信仰の目を定め、信頼し、お頼りして参りましょう。
69~71節、ですから、詩人は、神様の戒めを、心を尽くして守り、その教えを喜んでいます。72節、実に、詩人が歌うごとく、神様のみことばは、「幾千の金銀にまさる」ものです。
(結論)私たちも、様々な困難に遭遇する「旅の家」にあって、主とそのみことばを信頼して歩んでまいりましょう。