礼拝説教「主のみ教えに歩む幸い」2023年4月16日
聖書 詩篇119篇1~24節
(序) 先週は、イースターであり、主イエスの復活を記念する時でありました。本日は、春季召天者記念礼拝です。主イエスを信じて天に召された方々もまた、主イエスが再びお出でになる時に、甦ることが聖書に約束されています。そして、本日導かれている聖書の箇所は、詩篇119篇です。
この119篇は、聖書の中で最も節の多い詩篇です。176節が、アルファベット22文字で区分され、それぞれの区分は、それぞれのアルファベットの文字で始まっています。この詩篇119篇全体は、聖書のみことばが、私たちにとって如何なるものであるかが歌われています。その中から1~24節を見て参りたいと思います。
一、主のみ教えに歩む幸い(1~8節)
まず1~8節をご覧ください。1~2節に、2回「幸いなことよ」とあります。すなわち、心を尽くして主を求め、みことばに従ってその人生を歩む人々の幸いが歌われています。そのような人の歩む道は、間違いのない全き道だというのです。3~4節、その様な人は、不正を行わず、主が命じられた戒めを守り、主の喜ばれる道を歩きます。詩人は「どうか、私の道を堅くしてください」(5節)と祈っており、6節には、「そうすれば、…あなたのすべての仰せを見ても恥じることがないでしょう。」とあります。私たちは、自分の力で「全き道」を歩むことなどできません。弱さを持つ、欠けだらけの者です。ただ「主の助けと恵み」によって、神様に喜ばれる正しい道を歩むことができるのです。自分の力ではありません。
二、清く保つ道(9~16節)
どのようにして「全き道」を歩み、自らをきよく保つことが出来るのでしょうか。それが、9~16節に歌われています。きよく保つことの出来る道、それは、9節を見ますと、み言葉を守る道であることを告げています。10節で、詩人は、「あなたの仰せから、私が迷いでないようにしてください」と祈っています。すなわち、詩人は、主のみことばから迷い出ないように、「私はあなたのみことばを心にたくわえまます」と言っています。
そうです。主なる神様のみことばを慕い求め、そのみことばを心に覚え、蓄えることによって、私たちは、迷い出ることなく、神様に喜ばれる正しい道を歩むことができるのです。
みことばに養われ、みことばの恵みを知るほどに、感謝と賛美に満たされ、みことばを証するようになります。14節で詩人は、「あなたのさとしの道を、どんな宝よりも楽しんでいます」歌っています。それは、何と幸いなことでしょう。16節でも詩人は、「あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません」と歌っています。なんと幸いな告白でしょう。
既に主にあって天に召された人々も、このようなみことばに従い、みことばを心に蓄え、みことばを喜んでこの地上で生きておられたのです。
三、地にては旅人(17~24節)
17~18節をご覧ください。詩人は、へりくだって、しかも大胆に、「あなたのしもべに豊かに報い、私を生かし、…あなたのみことばを守るようにしてください」と祈っています。みことばは、私たちの日々を心豊かにし、生かしてくださいます。そして、18節、詩人は「目を開いてください」と願っています。みことばの奇しいことを見ることが出来るように、目を開いてくくださいと言うのです。主が、私たちに働いて、私たちの心の目を開いてくださらなければ、み言葉の意味を知ることが出来ません。また、みことばの不思議を知ることはで来ません。
同じ詩篇119篇130節もご覧ください。朝の光が戸口からサーと射し込むように、みことばの光が私たちの心の中に射し込んでくると、「ああそうなのか」と理解をさせてくださいます。エペソ1章17~19節もご覧ください。どうぞ私たちの目が開かれて、神様の準備してくださっている恵みの数々を理解できますように祈ります。
さて、19節に「私は地では旅人です」とあります。詩人は、地上においては寄留者であることを告白し、みことばが開かれることがどれほど慕わしいことであるかを告白しているのです。
この詩篇119篇の詩人は、「地上では旅人です」と告白していますが、この地上にあって、私たちも様々な困難苦しみに遭遇することがあります。まさにそのような時に、みことばが私たちを励まし強めてくださいます。ですから、詩人は、24節において、「あなたのさとしこそ、私の喜び、私の助言者です」と歌っているのです。すなわち、主のみことばは、私たちの「喜び」であり、「相談相手」、私たちの日々を導いてくれるカンセラーなのです。
(結論)私たちは、この地上にあっては旅人であっても、このみことばを信じ、みことばに生かされ、導かれる者となりましょう。