礼拝説教「福音の真理、広さ、いのち」2022年3月6日
聖書 コロサイ人への手紙1章5~8節
(序)本日は、コロサイ人への手紙1章5~8節よりお話するように導かれています。
一、福音の真理
コロサイの教会が直面している問題は、グノーシスという異端でした。彼らは、聖書的でない間違った教えを聖書の教えに付け加えて、聖書のみことばが語っている真理を曲げようとしていたのです。異端というものは、聖書の正しい理解から逸脱したもので、聖書が教えている真理の一部のみを取り出してそれがあたかも真理であるかのごとくに言いふらします。また異端は、聖書的でないこの世の教えを、健全な聖書の教えにつけ足して、それが真理であるかのように主張するのです。グノーシスという異端は、自分たちこそが特別な知識を持っていると主張しており、律法的な冷たい宗教でした。今も様々な異端がありますから、注意してください。おかしいと思ったなら必ず牧師に相談してください。そして、それらの異端とかかわりを持たないように注意してください。 異端の場合、様々な名称を使ってカムフラージュしていますので注意してください。
これに対して、福音は、明確な聖書的教えです。ですから、「福音の真理のことば」と言っているのです。「福音」とは、「良き知らせ」のことで、神の恵みの行為としての御業です。「真理」と言っても、それは冷たいものではなく。神の温かい恵みとしての好意であり、神の愛の御業です。私たちは、「福音の真理のことば」をしっかりと身につけ、みことばに生きる者となりましょう。
二、福音の広さ
6節に、「神の恵みを聞いて、本当に理解したとき以来、世界中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び、成長しています」とあります。私たちが神の恵みを真に理解しているなら当然成長し、実を結んでいるというのです。しかも、その成長の広がりは、世界大の広がりだというのです。
「福音」とは、単に一つの国、一つの民族、一つの状況にある人々に語られたものではなく、全世界のあらゆる人々に向けて語られた「神の恵みのことば」です。当時、クリスチャンたちは少数であり、パウロもローマの獄につながれているような状況でした。しかし、パウロは、「福音」の持つ世界性に気づいていました。すなわち、あらゆる国の、あらゆる人々を救う「恵みの福音」であると確信していたのです。当時のクリスチャンたちは、助けを必要としている人々に、愛の手を差し伸べていました。ですから、人々はクリスチャンたちを通して、神の愛を体験したのです。人々はクリスチャンたちを通し、教会を通して、神によって与えられる真の信仰と希望と愛を知ったのです。
ローマ帝国の片隅、一属国に過ぎないユダヤの国から始まったキリストの「福音」が、ついにはローマ帝国の国教にまでなり、さらに全世界に広まったのです。今も、全世界で多くの宣教師の先生方やクリスチャンによって福音の宣教が進められています。まさに、福音は世界的広さを持った神の恵みの御業なのです。
三、福音のいのち
6節に、「実を結び成長している」とあるように、「福音」は、それ自身の内に「いのち」を持っています。ですから、実を結んで成長するのです。キリストによる愛、御霊による愛へと成長するのです。「実を結んで成長する」ためには、「福音」を学んで聞き、「神の恵み」を体験することが大切です。「福音」を聞いて、「神の恵み」を本当に理解し体験することが出来るのは、「福音」それ自身の内に「いのち」があるからなのです。
7~8節、そのような実例として、パウロは、ここにエパフラスの例を引いています。コロサイの教会の人々は、パウロから直接福音を聞いたのではなく、パウロを通して福音の恵みにあずかったエパフラスが、郷里のコロサイに帰って福音を伝えたのです。
ですから、パウロは、エパフラスを「同労のしもべ愛するエパフラス」と呼び、さらに「あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者」だと言っています。「福音宣教」のためには、キリストのしもべとして愛と忠実さが求められます。エパフラスは、まさにそのような人であったのです。
エパフラスは、「自分一人が福音を伝えた」ということでなく、パウロやローマのクリスチャンたちに、コロサイ教会人々の信仰と愛を伝え、共に喜んでいるのです。
(結論)私たちもこの福音の真理と広さといのちを自ら体験し、学んでいよいよみことばの知識に成長する者となりましょう。