礼拝説教「暗闇を照らす曙の光」2021年12月12日 アドベント第3週聖書 ルカの福音書1章67~79節
(序)本日は、「ベネディクト」と呼ばれる「ザカリヤの歌」を見たいと思います。この「ザカリヤの歌」は、自分の子どもバプテスマのヨハネの誕生に際して、彼の閉じていた口が開かれて歌った預言の歌です。誕生した自らの子どものことも歌っていますが(76~77節)、そのほとんどは、メシア出現とその御業についての預言です。この朝は、特にメシア出現による救いの御業についての預言の部分を見たいと思います。
一、聖なる契約ゆえのメシアの出現(67~75節)
67~75節において、あわれみのゆえに、主なる神が、父祖アブラハムやダビデへの「聖なる契約」を覚えて、力強い救いの角であるメシアを出現して下さり、御民を贖い、救い出してくださることについて、ザカリヤが預言しています。神が約束された「聖なる契約」の成就が特に強調されています。
68~69節には、「主は…顧みて、贖いをなし、救いの角を…立てられた」とあり、72~73節には、「聖なる契約を覚えておられた。…アブラハムに誓われた誓いを」とあります。「聖なる契約」父祖への「誓い」を覚えて、メシアを遣わして下さることが歌われているのです。
74~75節には、メシアが敵の手から私たちを救ってくださり、私たちが恐れなく主に仕え、主の御前で、敬虔で、正しく生きることができるようにしてくださると歌っています。
そして、76~77節には、先駆けとして、主の道を備える働きをする今誕生したザカリヤの赤ん坊、バプテスマのヨハネのことが預言されています。
二、暗黒を照らす曙の光 (78~79節)
78~79節は、バプテスマのヨハネについての預言と解釈する注解者もありますが、私は、この箇所はメシアの出現とその御業についての預言であると思います。英国国教会19世紀初めの福音主義指導者の一人でケンブリッジ聖三一教会の牧師であったチャールズ・シメオンが、同じようにメシアの出現についての預言であるとして、ここから素晴らしい説教をしています。
1.曙の光としてのメシアの出現
78節に「曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ」とあります。メシアの出現を、朝日が東の空からグングンと昇る様子になぞらえて歌っています。
マラキ書4章2節に「しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼には癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る」とメシアの出現が預言されています。預言者マラキは、神の民の罪を指摘し、神のさばきを覚えて、悔い改めを迫っていますが、そのような厳しい預言の中に、癒しと喜びを与える「義の太陽」としてのメシアの出現を預言しています。まさに、メシアなる主イエスは、「曙の光」「義の太陽」として出現して下さり、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます」と宣言してくださいます(ヨハネの福音書8章12節)。メシアである主の下には、癒しがあり、満ち溢れる喜びといのちの光があるのです。
2.暗闇と死の陰を照らす光としてのメシア
ルカの福音書1章79節には、「暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く」とあります。
メシアである主イエスは、暗黒に閉ざされ、死に追いやられている人々の上に光り輝く大きな光として出現され、私たちを平和の道へと導いてくださることが預言されています。
イザヤ書9章1~7節をご覧ください。ここには、一人のみどりごが、光り輝く大きな光として出現し、戦いを終わらせ、あらゆるくびきを打ち砕き、平和と豊かな収穫と繁栄を与え、喜びと楽しみを増し加える「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」としてのメシアの出現が預言されています。
3.神のあわれみゆえのメシアの出現
ルカの福音書1章78節を再度ご覧ください。「これは私たちの神の深いあわれみによる」とあります。「曙の光」「義の太陽」「暗闇と死の陰を照らす大いなる光」のメシアとして、主イエスがお生まれ下さるのは、「父なる神の深いあわれみ」によるのです。神のあわれみと恵み以外の何物でもありません。この神様のあわれみゆえに、メシアなる主イエスが来てくださり、大きな御救いの御業を成し遂げて下さったのです。
最後に、2箇所お読みして終わりたいと思います。エペソ人への手紙2章1~5節、コロサイ人への手紙1章13~14節をご覧ください。ここに、父なる神の深いあわれみと恵みによって、暗闇と罪から救われ、罪の赦しによる、平和と喜びの生涯へと移されたことが明確に証しされています。
(結論)いよいよクリスマスの本当の恵みを味わい、あわれみ深い神に感謝し、主イエスを信じ従う私たちとしていただきましょう。