礼拝説教「あまりに深い主の御思い」 2021年11月14日
聖書 詩篇92篇1~9節 秋季召天者記念礼拝
(序)本日は、詩篇92篇の前半、特に5節を中心に見たいと思います。
一、主なる神に感謝し礼拝する幸い 1~2節
表題に、「安息日のための歌」とあります。安息日には、すべての働きを休み、神を礼拝する聖なる一日とすべきことが、出エジプト記20章に記されています。神様が天地万物と私たち人間を創造し、7日目に休まれたので、その日は聖なる日とされました。また、申命記5章12~15節によると、エジプトからの救いの御業のゆえにその日が聖とされたのです。そして、主イエスの復活を境に、日曜日が主の日として、新たに定められました。日曜日を休みの日とし、神を礼拝し感謝をささげることは、私たちにとって大切な日であり、大きな祝福なのです。
ですから、92篇の詩人は、1節で、「主に感謝することは、良いことです。…」と歌っています。2節には、「朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を告げることは」とあります。朝ごとに神様の恵みを覚えて新しい一日を始め、夜ごとに真実な神様の支えを覚えて感謝し、夜の眠りに入る幸いが歌われています。既に天に召された人々は、この神の恵みと真実に感謝し、その生涯を過ごしたのです。
二、主の御業により喜びに満たされる幸い 3~4節
主は、ご自身の大いなる御業によって、私たちを喜びに満たしてくださいます。 3~4節は、「主の御業により喜びに満たされる幸い」を歌っています。十弦の琴に合わせ、竪琴の妙なる調べに合わせて、心から力いっぱい主を賛美する幸いを歌っているのです。そのような喜びの賛美は、主なる神様の御業を体験するところに湧き出るのです。
この詩は、安息日のための歌であると先ほども申しましたが、神様の創造の御業にすべての人は与っており、あらゆる罪と悪の束縛から解放される救いの御業が、主イエスの十字架と復活を信じる人々に用意されているのです。既に天に召された人々は、この恵みを知り、信じて喜びに満たされたのです。
三、深い主の御思いを知る喜び 5~9節
詩篇92篇の5節をご覧ください。「主よ。あなたの御業は、なんと大きいことでしょう。あなたの御思いは、あまりにも深いのです」とあります。
その御業とは、創造の御業であり、救いの御業のことです。神様の創造の御業を思うとき、その偉大さに、私たちは感動し神様を賛美しないではおれません。また、主イエス・キリストの十字架と復活による救いの御業を知るとき、その神の御思いのあまりの深さに、私たちは圧倒されて、ひれ伏し礼拝をささげないではおれないのです。これこそが、「深い主の御思いを知る喜び」なのです。
6~9節には、そのような神の恵みと真実、深い神の御思いを無視し、目を留めようともせず、信じようともしない人々の愚かさ、はかなさが歌われています。神を信じようとしない人々が、永遠に力と知恵に満ちておられる神様の御前に、朝には燃え出で夕べにはしおれて枯れる青草のようにいかに空しいかが歌われているのです。
ですから、この朝、ここに集うすべての方々が、神様の大きな御業を知って、それを信じ告白していただきたいのです。十字架による贖いと復活による永遠のいのちへの希望という神様の大いなる御業をご自分のものとして体験していただきたいのです。皆様がその恵みを知るようになることを、既に召された方々も待ち望んでいるのです。
(結論)この朝、皆様にお勧めします。すでに天に召された人々と共に、主イエス・キリストを信じ、十字架と復活によって私たちに差し出されている恵みに与り、「深い主の御思いを知る喜び」に満ちて頂きたいのです。テサロニケ人への手紙第一5章16~18節に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい」とあります。どうぞ主イエスを信じ、常に喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する者とならせていただきましょう。