礼拝説教「ダビデへの恵みの契約」2021年10月17日
聖書 詩篇89篇19~37節
(序)先週は、詩篇89篇1~18節、特に15節を中心として見ました。本日は、詩篇89篇の続き、19~37節より、「ダビデへの恵みの契約」という題で見て行きたいと思います。
「契約」をヘブル語では、ベリースと言います。「契約」は、旧約の中で非常に重要な言葉であり、深い意味を含み持っている言葉です。
一、ダビデの選び
詩篇89篇19~20節をご覧ください。「…わたしは、一人の勇士に助けを与え、民の中から一人の若者を高く上げた。わたしは、わたしのしもべダビデを見出し、わたしの聖なる油で、油を注いだ」(詩篇89篇19~20節)とあります。サムエル記第一16章を見ると、神様がダビデを選ばれた経緯が記されています。主なる神は、サムエルをベツレヘムのエッサイのところに遣わし、エッサイの子の中から、主なる神がイスラエルの王として選んでいる者に油を注ぐようにと命じています。サムエルは、エッサイのところに行き、7人の息子たちを前に進ませますが、神様は「人はうわべを見るが、主は心を見る」と言われ、これら7人の者ではないと告げられます。羊の番に出かけている末の息子ダビデが呼び返され、王に選ばれた者として油注がれました。詩篇78篇70~71節にも、ダビデが王として羊の囲いから選ばれたことが記されています。主は、ご自身のご計画に従い、私たちをも恵みのゆえに選び備えてくださるのです。
二、恵みの契約
主なる神が、ダビデを選び、イスラエルの君主とし、彼の世継ぎを起こし、王国を確立し、「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(サムエル記第二7章16節)と預言者ナタンを通して、ダビデに約束されました。
これを、「ダビデ契約」と呼んでいます。それは、神様からの一方的な契約であり、「恵みの契約」でした。
この契約は、主なる神が、すべてを備え整えて下さるところの契約です。人間の何かの働きや素質とか業績によるのでもなく、ただ一方的に、恵みのゆえに与えられたところの契約です。主なる神は、あらかじめダビデを選び、すべてをご計画に従って整えられたのです。
24節を見ると、「わたしの真実とわたしの恵みは、彼とともにあり、わたしの名によって、彼の角は高く上げられる」(24節)とあります。
三、力と知恵を与える契約
詩篇89篇21節を見ると、「わたしの手は彼とともにあって揺るがず、わたしの腕も彼を強くする」(詩篇89篇21節)とあります。その契約は、力と知恵を与えるところの契約なのです。 主なる神は、ダビデに、力を与えて支え(詩篇18篇32~36節)、また知恵を与えられました(詩篇19篇7~10節)。主なる神は、私たちをも力と知恵に満たしてくださいます(コロサイ2章3節、9~10節)。
四、共に交わり、一つとする契約
「契約」には色々と深い意味が込められています。その一つは、「契約」を通して、契約の当事者である二人が一つにされるということです。両者は、契約を結ぶことによって、互いの間に交わりが生じ、一つとなり、互いに支える存在となります。そのしるしとして、身に着けているものを交換したのです。サムエル記第一18章3~4節を見ると、ダビデとヨナタンの契約が記され、ヨナタンが、ダビデに着ていた上着や鎧兜、剣と弓、さらに帯まで与えています。
詩篇89篇26節を見ると、「彼はわたしを呼ぶ。『あなたはわが父、わが神、わが救いの岩』と。わたしもまた、彼を私の長子、地の王たちの最も高い者とする」(詩篇89篇26節)とあり、主なる神とダビデとの間に親しい交わりと深い信頼があるのを見ることができます。
五、変わることのない確かなとこしえの契約
24節では、「わたしの真実とわたしの恵みは、彼とともにあり、…」とあり、28節には、「わたしの恵みを、彼のために永遠に保つ。わたしの契約は、彼にとって確かなものである」とあります。さらに、33~35節に、「わたしは彼から恵みをもぎ取らず、わたしの真実を偽らない。わたしは、わたしの契約を汚さない。唇から出たことを、わたしは変えない。わたしはかつてわが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わない」と言われています。ここに、主なる神が、変わることのない確かな契約をダビデと結ばれたことが述べられているのです。
サムエル記第二23章5節をご覧ください。「まことに私の家は、このように神とともにある。神が永遠の契約を私と立てられたからだ。それは、すべてのことにおいて備えられ、また守られる。神は、私の救いと願いを、すべて育んでくださるではないか」(サムエル記第二23章5節)とあります。口語訳には、「よろず備わって確かなとこしえの契約」とありました。
ダビデ家の系図を調べますと、決してほめられたものではありません。また、ダビデの生存中でさえも、様々な問題を抱えた一家でした。確かとか、永遠とはほど遠いような家庭でした。しかし、ダビデは、主のお約束のゆえに、「確かなとこしえの契約」と言っています。
そして、そのダビデに対する「確かなとこしえの契約」は、主イエス・キリスト様がダビデの子孫として生まれてくださり、全き贖いを成就して下さったところに結び付けられているのです。
(結論)主イエスの贖いの恵みに与ることにより、私たちもこの「よろず備わって確かなとこしえの契約」に結ばれているのです。そのことを感謝し、主を賛美しましょう。