礼拝説教「御顔の輝きを求めて」2021年8月1日
聖書 詩篇80篇1~19節
(序)本日より、再び詩篇からお話し致します。80篇は、神の救いと回復を求める「嘆きの歌」です。表題に「アサフによる賛歌」とありますが、73篇以降、アサフの名が付けられた詩が続いています。アサフは、ダビデ王の頃に立てられた聖歌隊の隊長ですので、アサフの子孫がこれらの詩篇を書いたと思われます。
一、私たちを元に戻してください 1~3節
この詩の時代背景について諸説ありますが、おそらく北イスラエル王国がアッシリア帝国によって滅ぼされ、サマリアが焼き払われた時代であろうと思われます。
アッシリアの王シャルマネセルが、紀元前725年、サマリアに攻め上り、3年間これを包囲し、サマリアは陥落し、紀元前722年北イスラエル王国はついに滅亡します。イスラエル人は捕らえられて、遠くメディアの町々に連れ去られました。この北イスラエル王国の滅亡については、列王記第Ⅱ17章に詳しく書かれています。月刊『ベラカ』八月号聖書日課に私が解説を書いていますのでまたご覧ください。
さて、詩篇80篇ですが、3節、7節、19節に、「私たちを元に戻し、御顔を輝かせて下さい。そうすれば、私たちは救われます」という言葉が繰り返されています。これがこの詩における主題ですが、この言葉を中心に、①1~3節、「私たちを元に戻してください」、②4~7節、「いつまで怒られるのですか」、③8~19節、「このぶどうの木を顧みてください」、という3つに分けてこの詩を見たいと思います。
1節で、まず「イスラエルの牧者よ」「ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ」と主なる神に向かって呼びかけています。この「イスラエル」とは、イスラエルの民全体を示しており、「ヨセフ」とは、北王国を示していると考えられます。いずれにせよ、主なる神が、民と共に荒野を進み、導いておられる羊飼いのイメージがここにあります。
それとともに同じ1節に「ケルビムの上に座しておられる方よ」という呼びかけもあります。これは、王としてのイメージです。主なる神は、王の王として全権をもって天の玉座に座しておられると同時に、地上の民と共にその聖所、特に恵みの御座に座しておられる神を覚えて呼びかけているのです。その牧者であり、権威とあわれみに満ちている神に向かって、「聞いてください。…光を放ってください」と叫び声を上げているのです。
「光を放ってください」とは、「あなたの力と栄光を現わして、私たちを救ってください」ということです。
2節に、「エフライムとベニヤミンとマナセの前で」とありますが、これは、北王国イスラエルを示す表現です。この80篇の詩人は、今滅亡の状態にある北王国イスラエルの救いを願い、再び北イスラエル王国と南ユダ王国が一つとなって回復するのを深く心に願って祈っているのです。
そして3節で、「神よ。私たちを元に戻し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます」と願うのです。
二、いつまで怒られるのですか 4~7節
4~7節で、特に目立つのは、「いつまで…怒りを燃やされるのですか」という一句です。アーシャンティ(「煙」という意味の言葉から派生した言葉)が用いられて「神の激しい怒り」が表現されています。それは、馬やライオンが怒った時に激しく鼻から息を噴き出すイメージから来ている言葉だと言われます。北イスラエル王国は、神に対す度重なる罪のゆえに、滅ぼされてしまいました。ですから「いつまで…怒りを燃やされるのですか」と詩人は言うのです。神の激しい怒りのゆえに、イスラエルは、涙のパンを食べ、涙を飲まなければならず、敵に嘲られたのでした。その惨めな現状をのべて、神のあわれみと回復を求め、「万軍の神よ。私たちを元に戻し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます」と訴えているのです。
三、このぶどうの木を顧みてください 8~19節
8節からの所には、イスラエルを「ぶどうの木」に譬えての表現が出て来ます。神が、その民を、エジプトから引き抜いて、カナンの地に移植し、地を整えられたので、ぶどうの木では、深く根を張り、その枝を地の全面に広げ、それは山々を覆うほどに、西は地中海まで、北はユーフラテス川にまで枝を広げたというのです。それは、創世記49章のヤコブの祝福の祈りに「ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの、実を結ぶ若枝。その枝は垣を越える」(創世記49:22)とあるごとくでした。ところが、石垣は破られ、道行く者に摘み取られ、野の獣に食い荒らされるままになっていると嘆いているのです。16節を見ると、「それは火で焼かれ、切り倒されています。民は、御顔のとがめによって滅びています」と嘆きが歌われています。
ですから14節で、詩人は、「万軍の主よ。どうか帰って来てください。天から目を注ぎ、ご覧になってください。このぶどうの木を顧みてください」と叫ぶのです。
そして、詩人は、18節で、「私たちはあなたから離れ去りません。私たちを生かしてください。私たちはあなたの御名を呼びます」と主なる神への忠誠を誓って、「回復してください。生かしてください」と懇願しているのです。
そして19節、この詩の主題に立ち返って、「万軍の神、主よ。私たちを元に戻し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます」と祈り、願い、叫ぶのです。
最後に、この詩篇に3回出て来ました「御顔を照り輝かせてください」の一句に目を留めていただきたいと思います。
「御顔」というのは、神様の臨在を示す言葉です。神の臨在のことを、ヘブル語では、パニーム「顔」という言葉で表します。それは、向けられた顔です。臨在とは、主が私たちの方へその御顔を向けられることです。神様の臨在の輝き、御顔の輝きを私の方に向けて、輝かしてくださいというのです。
すなわち「御顔を照り輝かせてください」とは、「神様の臨在の輝きを見せてください」ということです。
神様が、聖顔を照り輝かせてくださるとは、私の方に、グイッと聖顔を向けて、微笑んでくださるということです。
③ 聖顔の輝きによって、みことばの真理を教えられます(詩篇119篇135節)。
私たちも、80篇の詩人のように「私たちはあなたから離れ去りません。私たちを生かしてください。私たちはあなたの御名を呼びます」(18節)と主への忠誠を誓い、「万軍の神、主よ。私たちを元に戻し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます」(19節)と信仰のリバイバルを祈り願う者でありたいと思います。
(結論)80篇の詩人のように、この困難な時に、主への信仰の忠誠を誓い、「万軍の神、主よ。私たちを元に戻し、御顔を照り輝かせてください」(19節)とリバイバルを祈り願いましょう。