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何に望みを置くのか

2021 5/15
礼拝メッセージ

礼拝説教 「何に望みを置くのか」2021年5月16日

聖書 テモテへの手紙第一6章17~21節 

(序)本日もテモテへの手紙からお話しいたします。

一、何に望みを置くのか 17~19節

15~16節でパウロは、神を賛美しましたが、ここではこの世で富んでいる者たちに7つの命令をしています。勧めではなくて命令です。

パウロは、9~10節でも、金銭を愛することが有害であり、悪の根であることを述べましたが、ここに再び富んでいる人に対する7つの命令を語っています。エペソの教会には裕福な人々が多かったようです。

この箇所に関して、竹田俊造先生は「栄えある神を拝した目に、世にも哀れな者の姿が映じた。それでパウロは勧める。この世の富める者よ。…」と語っておられます。また、小島伊助先生は、「金の愛(ラブ・オブ・マネー)、これは神の愛の向こうを張るもので、一切の悪根である」と言っておられます。

1.高慢にならず、

金持ちは、高慢になり、あたかも自分の力で富を得たように錯覚し、人を見下す危険を持っています。ですから、「高慢にならず」と命じています。

2.頼りにならない富にではなく、

聖書は、人の力や富に頼るべきでなく、神にのみ頼るべきことを繰り返し教えています。「民よ。どんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を、神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。…富が増えても、それに心を留めるな。神は一度告げられた。二度わたしは聞いた。力は神のものであることを。主よ。恵みもあなたのものです。あなたは、その行いに応じて人に報いられます。」(詩篇62篇8~12節)

3.神に望みを置き、

神様こそが私たちを守り、すべてのものを豊かに与え楽しませてくださる方です。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすて、それに加えて与えられます。」(マタイの福音書6章33節)。

4.善を行い、立派な行いに富み、

金持ちはともすると自分の利益のみを追求しやすい。しかし、むしろ人の益を考え、よい行いにこそ富むべきことを勧めています。

5.惜しみなく施し、

困っている人々に個人的にいつでも分けてあげることができるように備えておくことです。ready to distribute (欽定訳)

6.喜んで分け与え、

公共の益のために、行動と計画と財を惜しげもなくささげることです。

「気前よく施して、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんで、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。」(箴言11章24~25節)とあります。気前の良い、おおらかな人になろうではありませんか。

7.土台を蓄え、まことにいのちを得なさい。

「来るべき世において立派な土台となるものを自分のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい」(19節)とあります。

写本によって「まことのいのち」(シナイ写本、アレキサンドリア写本等重要な写本に用いられている。)と「永遠のいのち」との両方があります。

17節の「今の世」ヌーン・アイオニーに対して、19節の「来るべき世」メローが対比されています。「来るべき世」すなわち「未来」のために「良い基礎」(セメリオス)を蓄えて築くのです。それも、自分のために蓄えるのではなく、他の人のために蓄えるのです。ここでは、「分け与えることによって蓄える」という撞着語法(oxymoronオクシモロン:両立しない事柄を並べて逆に効果的に表現する方法)が使われています。

以上、富める者への命令は、信・望・愛に集約することができます。それにしても、「すべてのものを豊かに与え楽しませてくださる神」とは、何と豊かな神観でしょう。

二、忠告と祝福の祈り 20~21節

パウロは、20~21節において、テモテに対し再度、忠告を与えています。すなわち、「委ねられたものを守りなさい。そして、俗悪な無駄話や間違って「霊知」と呼ばれている反対論を避けなさい」ということです。①「委ねられたもの」パラセーケーとは、元来「銀行に預けた大切な宝」を意味している珍しい言葉が用いられています。ここでは、キリスト教信仰の正統的な教えを意味しています。

②「間違って『霊知』と呼ばれている反対論」とは、グノーシス主義と呼ばれる当時の異端であり、これを避けなさいと忠告しているのです。

パウロは、終わりに短く「恵みがあなたがたとともにありますように」(21節)と祝福の祈りをしています。様々な警告がなされ、命令が語られ、勧めがなされましたが、最後は、主からの恵みです。恵みなくしては、私たちは何もできませんし、何も得ることはできません。私たちが神様の豊かさを頂くことが出来ているのは、ただ神の恵みによるのです。主の恵みに徹底し、喜び、感謝する者となりたいと思います。

三、心を一つにしてください 

私たちは、何に望みを置いているでしょうか。この地上の物にでしょうか、それともやがて来るべき世にでしょうか。それとも両方でしょうか。いつも、私たちの心を主とそのみことばに向けたいと思います。

小島伊助全集第7巻の「なつかしの残像」と題する一文の中に、竹田俊造先生の思い出が書いてあります。ある金持ちの葬式に参列し、弔辞を述べなければならない段になった時、竹田俊造先生は、何も言わないで、詩篇39篇4~7節を朗読された。「エホバよ。願わくはわが終わりとわが日の数のいくばくなるとを知らしめ給え。わがはかなきを知らしめ給え。見よ。なんじ、わがすべての日をつかの間に過ぎ去らしめたもう。わがいのち、御前にてはなきにことならず、実にすべての人は、皆その盛りの時だにも空しからざるはなし。人の世にあるは影にことならず、その思い悩むことは空しからざるなし。その積み蓄うるものは、たが手におさまるを知らず。主よ。われ、今、何をか待たん。わが望みはなんじにあり。」

「一瞬、さあっと、何とも言えない空気がみなぎってなあ!」とその時のことを思い出して、竹田俊造先生が言われたそうです。

まさに、私たちが望みとするものは、「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」というこの信仰の待ち望みです。この一点を見失わないようにいたしましょう。

最後に詩篇86篇11節をお開き下さい。「主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように」(11節)とあります。

ダビデは、自分の心を主に向かって集中することができるようにと願っているのです。ダビデは言います。「私の心を一つにしてください。御名を恐れるように」と。私たちの心の視点を主に向かって一つにしていただき、主にこそ私たちの望みを置きたいと思います。

(結論)私たちも心の視点を主に向かって一つにしていただき、主にこそ望みを置く者となりましょう。

礼拝メッセージ
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  • しかし聖霊が臨むとき

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