礼拝説教「神の人よ」2021年5月2日
聖書 テモテへの手紙 第一 6章11~14節
(序)「神の人」は、何を避け、何を求めるかが語られています。
パウロは、テモテに対し、「神の人よ」と呼んで、牧会者としてのあるべき姿を命じています。直接的には、「神の人」とは、伝道と牧会者にたずさわる牧師のことを言っているのですが、クリスチャン一人ひとりもまた、まだクリスチャンでない人から見ると「神の人」です。ですから、私たちすべてが「神の人」として、避けるべきことを避け、求めるべきことを求めて参りましょう。
ここに3つのFがあります。すなわち、「避けるべきこと」flee「求めるべきこと」follow「戦うべきこと」fightです。
一、避けるべきこと flee 9~10節
第1の「避けるべきこと」とは、9~10節にある事柄です。真理を失い、ことばの争いに終始して、敬虔を利得と考えるような偽教師や、金銭を愛して誘惑とわなにかかって滅びと破滅に至るような人々が陥っていることを避けなさいというのです。
二、求めるべきこと follow 11節
第2の「求めるべきこと」とは11節です。パウロは、ここで、クリスチャンのあるべき態度としての求めるべきものとして、6つを掲げています。すなわち、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和です。
1.「正しさ」ディカイオスネー
「正しさ」とは、神の義を求めることです。「まず神の国と神の義とを求めなさい。」とマタイの福音書6章33節)にはあります。
2.「敬虔」ユーセベィア
「敬虔」とは、これまでしばしば申し上げていますように、「神の臨在の不断の現実感」(ベンゲル)ということです。すなわち、いつも主の臨在を覚えるということ、「わたしはここにいるよ」との主のみ声を聞いているということです。
3.「信仰」ピスティス
「信仰」とは、真実と誠実とをもって主イエス・キリストを信じ、十字架と復活による救いの福音を堅く信じることです。
4.「愛」アガペー
「愛」とは、主なる神が私たちを愛して下さつた愛に応答し、心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を愛することです。
5.「忍耐」ヒュポモネー
「忍耐」とは、いかなる時にも神を堅く信じ、神との交わりの中で与えられる持続した信頼です。
6.「柔和」プラウテース
「柔和」とは、温順で親切なことです。これらのことを熱心に求めなさいというのです。
三、信仰の戦いを勇敢に戦うべきこと fight 12節
そして、12節で「信仰の良き戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい」というのです。「戦う」アゴーニゾマイとは、オリンピックの競技や、兵士の戦いに用いられたことばであり、苦闘し、いのちがけで戦うことです。「永遠のいのちを獲得しなさい」とは、不定過去が使われており、定められた一点、すなわち、やがて神にお会いするその決定的な時に与えられる「永遠のいのち」を目標として、これを獲得しなさいというのです。テモテは、そのために召され、多くの証人の前でりっぱな信仰告白をしたと励ましているのです。そして、私たちも、そのために召され、多くの証人の前に立っているのです。
四、傷のない、非難されるところのない者であれ 13~14節
パウロは、テモテに対し、命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさいと命じるにあたって、「すべてのものにいのちを与える神」と「ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもって証しされたキリスト・イエス」の御前で、忠実であるようにと厳粛さをもって命じています。私たちも、主イエスの御前で、傷のない、非難されるところのない者でありたいと思います。そして、私たちを、傷のない、非難されるところのない者として保ち、守ってくださるのは、神様です。
「平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれますように」(第1テサロニケ5章23節)。
(結論)「神の人」として、避けるべきことは避け、求むべきことは熱心にこれを求め、信仰の良き戦いを戦い抜きましょう。