礼拝説教「わが家と我は主に仕えん」2022年2月6日
聖書 ヨシュア記24章14~25節
(序)本日は、私たちの教会の創立98周年の記念の日です。私たちは、過去の歴史なくしては現在がないのですから、私たちがいかに形成されたかを振り返りたいと思います。そして過去の恵みを感謝するだけでなく、これからについてのビジョンを頂き、目標を定めて前進したいと思います。
一、選ばれ導かれた恵みの歴史の想起
主がイスラエルのために戦ってくださったゆえに、ヨシュアに率いられたイスラエルの民は、エリコやアイの町に勝利した後、北へ南へと戦いを進め、約束の地を獲得し、各部族に町々と土地を割り当てます。そして、これらの後に、ヨシュアは、民をイスラエルの国の中央部にある町シケムに召集しました。そしてシケムにおいて契約を結びます。ヨシュアは、民と契約を結ぶにあたって、まず、選ばれ、導かれたこれまでの歴史を覚え、主が行ってくださった大いなる御業を思い起しています。それは、ただ主の恵みの歴史であったことをヨシュアは民に印象付けています。
私たちも、まず、どこから救われ、導かれて来たかというそれぞれの歴史とその恵みを思い返したいと思います。そして、また私たちの教会がどのようにして今日に至っているかを振り返っていただきたいと思います。
二、ヨシュアの決意と民への勧め
ヨシュアは、これまでの歴史と主の大いなる御業、主の恵みを思い起しすとともに、これからの将来について、自らの決意を表明し、民にも誠実と真実をもって仕えるようにと勧めています。
14節に、「今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え、あなたがたの先祖たちが、あの大河の向こうやエジプトで仕えた神々を取り除き、主に仕えなさい」とあります。主に仕えるとは、偶像を取り除き、ただ主をのみ神であることを選び、そのみことばに従うことです。
ヨシュアの決意が、15節にあります。たとえイスラエルの民が主に仕えることをしなくても、「私と私の家は主に仕える」とその決意を明らかにしています。ヨシュアの決意の表明に対し、イスラエルの民も「私たちは主に仕えます」(21節)と応答しています。
三、誠実と真実をもって主に仕える
14節をもう一度ご覧ください。ヨシュアが、「あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え…」とイスラエルの民を諭しています。
最後に、この「誠実と真実をもって主に仕える」とはどの様なことかを見ておきたいと思います。この所を、口語訳では「あなたがたは主を恐れ、まことと、まごころと、真実とをもって、主に仕え」とあり、聖書協会共同訳は「あなたがたは主を畏れ、真心と真実をもって主に仕え…」と訳しています。「誠実」とか「真心」と訳された所は、タミームという言葉が用いられており、ノアが「全き人」(創世記6:9)として記されている所やアブラハムに主が語られた「あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」(創世記17章1節)に使われています。「真実」とは、エメトという言葉で、祈りの最後に唱えるアーメンの語源となるものです。
私たちは、聖なる真実な方である神様に対し、心からの真心をもって、真実に、また誠実に主に仕える必要があるのです。そのような、「誠実と真実をもって」、「私と私の家は主に仕える」と応答いたしましょう。
(結論)ヨシュアのごとく、誠実と真実をもって主に仕えることを心に定め、主なる神に仕え、教会を愛して行く者となりましょう。