礼拝説教「きよめられた尊い器」2021年7月4日
聖書 テモテへの手紙 第二 2章19~26節
(序)本日もテモテへの第2の手紙からお話しします。
一、神の堅固な土台 19節
パウロは、19節において、「神の堅固な土台」に記された二つの銘を紹介して、みことばを解き明かす働き人のあるべき態度を語っています。私たちにとっての「堅固な土台」とは、「土台としてのイエス・キリスト」(第1コリント3:11)であり、また正しい福音を解き明かす者としての「使徒と預言者という土台」であると言えるでしょう。すなわち、「神の堅固な土台」とは、キリスト教信仰の正統的教えのことです。それには、二つの銘が刻まれていると言うのです。
1. 主はご自分に属する者を知っておられる
第1の言葉は、「主はご自分に属する者を知っておられる」です。これは民数記16章5節からの引用ではないかと言われています。逆らうコラとダタン、アビラムそして族長たち250人が共謀し、モーセとアロンに逆らって結集し、「あなたがたは分を越えている。…なぜ、あなたがたは主の会衆の上に立つのか」と不平を言いました。モーセとアロンは、彼らに向かって「明日の朝、主は、だれがご自分に属するものか、だれが聖なる者かを示し、その人をご自分に近寄せられるのだ」と言いました。その翌日、モーセとアロン、そしてコラとその仲間の者たちが、各々香を焚く火皿を持って会衆の前に立ちました。モーセは、会衆に向かってコラとその仲間から離れるようにと告げ、会衆がコラとその仲間から離れると、コラと共に香をささげていた250人は火に焼かれ、コラとその仲間に属する者の足元の地面が割れ、地に飲み込まれた事件と関連して、「誰がご自身のものか」を示された、すなわち、「主はご自分に属する者を知っておられる」と言われているのです。
2.主の御名を呼ぶ者は、だれでも不義を離れよ
第2の言葉は、「主の御名を呼ぶ者は、だれでも不義を離れよ」です。これは、「さあ、この悪い者どもの天幕から離れなさい。」(民数記16章26節)、や「去れよ、去れ。そこから出て行け。汚れた者に触れてはならない。その中から出て行き、身をきよめよ。主の器を運ぶ者たちよ。」(イザヤ書52章11節)などからの引用、または当時の格言ではないかと考えられています。要するに、主はご自分に属する者を知っておられ、主の御名を呼ぶものは不義から離れ、正しい生活をするように、というのです。
二、きよめられた尊いことに用いられる器 20~21節
パウロは、テモテに、神のために役に立つきよめられた「尊いことに用いられる器」となるようにと励ましています。大きな家にある金や銀の器、あるいは木や土の器を例に出して、神の家である教会において、主に用いられる尊い器になるようにとの勧めです。
ここで、卑しいことに用いられる木や土の器とは、偽教師たちに惑わされた信仰の弱い人を指すと思われます。ですから、パウロは、自分自身をきよめ、不義から離れ、「尊いことに用いられる器」となるようにと勧めているのです。「きよめられた」エクカサイローとは、徹底的に除去されたことを意味する強調された言葉が用いられています。
「主人にとって役立つもの」meet for the master’s use とは、すべての点で、主にとって有益なもの、主の役に立つものとなるということです。「あらゆる良い働きに備えられたもの」となりたいと思います。そのために有益なものは、聖書です(第2テモテ3章16~17節)。みことばによって、きよめられ、整えられるのです。
どのような高価な器であろうとも、もしその器が汚れていたならば、用いるわけにゆきません。そのように、どのように才能があっても、その人がきよめられた器でないなら、主はその人を用いられないのです。
「きよめられた尊い器」こそ、主に役立つものとなるのです。若い時から、この「主人にとって役立つもの」meet for the master’s useを口ずさむ子どもたちが起こされるように祈りましょう。
三、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい 22~23節
22節で、パウロは、テモテに、若い時の情欲を避け、義と信仰と愛と平和を追い求めるようにと勧めています。第1テモテ6章11節では、「正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和」を追い求めるようにと言っていますが、ここでは、簡潔に凝縮して「義と信仰と愛と平和」と言っています。
23節で「愚かで、無知な思弁」を避けるようにと注意し、24~25節において、争うことなく、優しく柔和な心で、忍耐をもって、教え、訓戒すべきことを勧めています。そうするならば、主が、相手の人に悔い改めの心を与え、真理を悟るようにしてくださると励ましています。
最後に、第Ⅱコリント4章7節、13章9節、11節、第Ⅰペテロ5章10節をご覧ください。
私たちは、完全な者ではなく、欠けだらけ、ヒビだらけのような者ですが、この土の器にすぎない欠けだらけの私たちを、主は繕い、きよめ、調和の取れたものとして下さり、キリストの栄光の福音を持ち運ぶ、「主に役立つ器」として下さるのです。
(結論)あらゆる欠けを繕っていただき、また汚れからきよめられ、主に役立つ「尊いことに用いられる器」として造り変えていただきましょう。