説教題「見よ、わたしのしもべ」
聖書 イザヤ書52章13~53章12節
イザヤ53章はユニークな預言が記述されています。それはいわばイスラエルの回復の作業工程を表わしています。その作業をなさるのはイスラエルではなく神です。そして神はイスラエルの回復のために一人のしもべを遣わされるのです。そのしもべは
- わたしのしもべは栄える
イスラエルの回復はこのしもべによってなされます。そしてしもべはみわざを全うして高められ上げられます。しもべは敗北ではなく勝利をもって栄えるのです。
- その顔立ちは損なわれて
しかししもべはこの地上で権力をふるう王のような力を行使し支配するような存在ではありません。その顔立ちはそこなわれ人のようではなく、蔑まれ、だれも彼を尊ぶことはありませんでした。イスラエルの回復はそのようなお方によってなされます。
- まことに、彼は私たちの病を負い
このヒーローとはあまりも程遠いしもべが、神の御腕を現わす行為としてなしたみわざは、輝かしいものではなく、イスラエルの病を負い、痛みを担う贖いのわざでした。そのようなしもべのわざを人々はだれも理解できません。しかししもべはイスラエルの咎のために砕かれたのでした。しもべが負った傷のゆえにイスラエルは癒され、回復を与えられるのです。それが神のみこころでした。
➃ 彼は自分のたましいの苦しみのあとを見て満足する
苦難のしもべを理解するにあたって大事な点がここにあります。しもべは苦難のわざをやりとげ、イスラエルに回復を与えたことのゆえに満足するのです。神のわざはまっとうされたのです。
いうまでもなく、これは後のイエス・キリストの十字架の贖いの預言です。キリストこそは、ご自身のご苦難をもってイスラエルに臨在と神の栄光の回復をもたらし、神の国の到来を起動させた主のしもべたるお方なのです。
