説教題「契約の律法に内包する神のあわれみ」
聖書 レビ記25章1~19節
一般に律法というとネガティヴな印象を皆さんお持ちです。聖書の中でもレビ記と言いますと中々手が付きませんという方もおられます。しかし神に従うイスラエルにとって律法は欠かすことのできないものでした。モーセはシナイ山を出発するにあたってレビ記に記された内容を人々に教え示さなければなりませんでした。
- ヨベルの年
レビ記25章はヨベルの年について記されています。ヨベルとは雄羊の角を意味し、7年目に迎える安息年を7つ数えた次の解放の年のことを言います。このヨベルの年に角笛が吹き鳴らされ、人々に安息が与えられることが宣言されるのです。この年には、土地を休ませ、売られた土地は元の持ち主に返すことになります。
人々はヨベルの年に自分の土地を買い戻します。またそれが難しい場合はその人の近親者が買い戻すこともあります。そうしてイスラエルの新たなる歩みが始まるのです。
- ヨベルの思想
このヨベルの年が定められた背景には、一つにイスラエルが神様から与えられた嗣業の地であることあります。その本当の所有者は人ではなく神です。ヨベルの年を通して民はそのことを教えられるのです。
もう一つはこのヨベルの年は、神のあわれみによる解放の宣言を意味します。神は土地を失ってしまった人々がしかるべき代価を払って買い戻すことができるようにヨベルの年を定めてくださっているのです。その底流には神の契約への誠実さ(ヘセド)が流れています。
後に、イエス様はこの地上にお出でくださり、神の国が到来を告げられ、「(心の)貧しい者は幸いである。神の国はその人のものである」というメッセージをなされました。イエス様こそ解放の宣言をすることの出来るお方であり、ご自身の命の代価をもってイスラエルと全世界を贖われた(買い戻された)お方なのでした。