説教題「主の軍の将として」
聖書 ヨシュア記5章1~15節
ヨシュア記はカナンにおける国の起こりを記しています。イスラエルの始まりはアブラハムの召命から端を発します。族長時代を経てヤコブの子どもたちはエジプトに渡りそこで繁栄します。しかしエジプト人との軋轢が生じモーセのもとでエジプトを脱しました。そしてシナイ山に登り神様との契約関係に入ります。その時、十戒が与えられました。
主の民となったイスラエルは荒野の試みを経てカナンに入りますが、その進行の前に大きな壁として立ちふさがったのが古代都市エリコでした。
① イスラエルの割礼
主はヨシュアに、イスラエルの子らに割礼を施すことを命じられました。その理由は先にイスラエルの脱出を経験した人々は荒野の放浪の間に絶えてしまったからでした。新しい世代は以前の記憶がなかったのです。そこで彼らにはイスラエルとしてのアイデンティティーを堅く持って結束することが必要とされました。そのために割礼を必要としました。
またそれはイスラエルが新しく刷新されて主の軍として整えられることを意味しました。彼らは神の民であるしるしとしての割礼を肉体に刻んでエリコへと臨むのです。
② ヨシュアの体験
ここでヨシュアは奇妙な体験をします。一人の男が抜身の剣を手に持ってヨシュアの前に立つのです。そして敵か味方かと問うヨシュアに対してこう言います。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ」。
イスラエル軍の本当の将はヨシュアではなかったのです。イスラエルを主の軍としてくださりその将となってくださったのは主なる神ご自身でした。
そしてその故にヨシュアがすべきことは、モーセのように履き物を脱ぎ、ひれ伏すことでした。それは主に絶対の信頼を置いて主により頼むことであり聖別を意味していました。
わたしたちにも勝利すべき戦いがあります。主のお言葉に堅く立って信仰もって進んでまいりましょう。