説教題「その名はインマヌエル」
聖書 マタイの福音書1章17~25節
福音書はナザレのイエス様こそが真のメシア、救い主、キリスト者であることを示す書ですが、マタイによる福音書が宛てられた対象は主にユダヤ人であると思われます。
- イエス・キリストの系図
マタイの福音書の冒頭にはイエス・キリストの系図が記されています。それによってイエス・キリストがアブラハムからダビデまで、ダビデから捕囚まで、捕囚からキリストまでそれぞれ14代、あわせて42代に渡ることが分かりますが、同時にそれが当時待ち望まれていたメシアの到来に関わる数字であることが分かっています。いずれにしても系図を通してユダヤ人にキリストこそがまことの救い主であることを知らせるために記されました。
- ヨセフの懊悩
系図の次に記されているのはダビデの子孫ヨセフに現れたみ使いの出来事です。ヨセフはいいなずけのマリアが身ごもったことを知り悩んでいましたが、正しい人であったので密かに離縁しようとしたとあります。正しい人という表現の中に相手を思いやる品性が含まれていることに教えられます。
そのようなヨセフに現れたみ使いは恐れずにマリアと妻として迎えるようにと命じます。イエスと名づけられる子は、ご自分の民(イスラエル)を救うメシアとなるはずだからです。
- その名はインマヌエル
ここで福音書記者は預言者イザヤによって語られたインマヌエル預言を引用します。
「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
イエス様の誕生をもってインマヌエル(神が私たちとともにいます)が実現したという意味に解される上記の言葉です。
このことは神様が天地創造来、求めておられたことでした。神様はこの世界を聖所としてお住まいになるために創造され人を神様と人とを取りなす祭司として造られました。しかし人間の罪によってこの世界は神の臨在を失ってしまいます。けれどもキリストはこの世界に救いもたらすためにインマヌエルの主としてこの世においでくださり、十字架と復活のみわざをもって神の臨在の回復を実現してくださったのです。わたしたちはこのインマヌエルの主を仰ぎたいのです。