説教題「わたしのたましいは主をあがめます」
聖書 ルカの福音書1章26~56節
ルカの福音書にはイエス様の誕生の次第がくわしく述べられています。ガリラヤのナザレと言う町に住む処女マリアはみ使いガブリエルから突然、驚くべきことを知らされます。それはメシアの受胎告知でした。
- み使いの告知とマリアの応答
その意味するところはマリアはイエス(主は救い)という名前の男の子を宿し、その子はいと高き者、すなわち神の子と呼ばれ、そしてダビデの王位をいただく、つまりイスラエルの王、メシアとなるということでした。
マリアはこのみ使いの言葉に「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」と応答して受け入れましたが、この時のマリアの胸中はどのようなものでしたでしょうか。
普通に考えたら自分の身に起こることへの不安、将来への恐れと言った感情が沸き上がるかもしれませんがマリアの心の中にあったものはむしろ喜びでした。
- マリアの賛歌
マリアは急いで親戚のエリサベツの所に赴き、エリサベツの祝福の言葉を受けると神を賛美してたたえます。
その賛美の内容は、神のみわざが心の思いの高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げ、また飢えた者を良いもので満ちたらせ、富む者を名も持たせずに追い返すといったものでした。
それはマリアの個人的な心情を表わすというより、むしろイスラエル全体の祝福を願うものであり、社会的、政治的、思想的な面を帯びてさえいました。マリアは弱きを助け、強きをくじく神様をたたえ、そのためにマリアの内に聖霊によって与えられた胎について感謝し主を賛美するのです。
そうである時に普通にイメージされるマリア像とは少し異なってくるでしょう。マリアは穏やかな人でありながらも、世界が神に祝されることを望む信仰を持つ芯の強い女性であったのです。
そしてこのマリアの賛歌にあるようにもしてキリストはこの地上に来られ神のわざを行われます。しかしそれはこの世の支配者のように剣によってではなく、ご自身の命を差し出される十字架と復活のみわざをもってでした。
わたしたちもマリアのようにこの主をあがめ、たたえたいと思います。