礼拝説教「行くべき道を知らせ給え」2024年1月28日
聖書 詩篇143篇1~12節
(序)表題には、「ダビデの賛歌」とありますが、ダビデが直接的にこの詩篇を作ったのではなく、ダビデ的な詩としてこの表題がつけられていると思われています。また、ダビデが、息子アブシャロムの叛逆に遭ったときの作とも思われています。
- 真実と義によって(1~6節)
1節、詩人は、「私の祈りを聞き、私の願いに耳を傾けてください」と祈り、願っています。「あなたの真実と義によって、私に答えてください」と祈っています。主のご真実と義のゆえに、祈りに答えて下さるようにとの願いです。私たちの救いは、神ご自身のご真実と義に基礎をおいています。詩篇89篇2節と8節、14節をご覧ください。詩篇89篇には、「恵みと真実」ということがしばしば歌われています。2節に「御恵みは、とこしえに打ち立てられ、あなたはその真実を、天に堅く立てておられます」とあり、8節には「主よ。あなたの真実はあなたを取り囲んでいます」とあり、14節には「義と公正は、あなたの王座の基。恵みとまことが御前を進みます」とあります。そこには、神の「恵みと真実」の変わることなおない確かさが歌われています。
詩篇143篇に戻っていただき、2節に、詩人は、人間は誰ひとり、神の御前に義とされることのないことを覚え、神の哀れみを求めています。そして、3節、敵によって、魂が追いつめられ、苦しみと孤独の中にいることを訴えています。さらに4節では、力が衰え、心が荒れ果てるという苦境に立たせられていることを訴えています。詩人は、これらの苦しみから助け出してくださるのは、主なる神の「真実と義」「恵みとまこと」によることを信じているのです。
ですから、5節で、詩人は、主がなしてくださった恵の御業の数々を思い巡らし、静かに瞑想しています。私たちも、様々なこんなに遭遇した時に、かつての日々を思い起し、「すべてのみわざに思いを巡らし、…御手のわざを静かに考える」ことです。そうすることによって、私たちのうちに動くことのない信仰が与えられて参ります。
6節にあるように、主に向って、手を伸べ広げ、乾き切った地のように、主を慕い求めるのです。そうするならば、主は、私たちの祈りに答え、御顔を向けてくださいます。
二、平らな道に導いてください(7~12節)
7節、詩人は、さらに切実に、主の御助けを祈り求めています。御顔を隠さないで、御顔を輝かせてくださるようにと願っています。
8節、「朝に、あなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから、行くべき道を知らせてください」と願っています。
夜はいつまでも続きません。やがて夜のとばりは開け放たれ、朝が来ます。苦難の夜は過ぎ去り、新たな朝が朝日とともにやって来るのです。
9節で、詩人は、「私はあなたのうちに身を隠しまします」とその信仰を言い表しています。
10節、みこころを知って、それを行なうことは、すべての敬虔な者にふさわしい態度です。「あなたこそ私の神であられますから」主への全幅の信頼があるところに、みこころを行なうということがあります。
「いつくしみ深い霊が、平らな地に私を導いてくださいますように」(10節)聖霊が、平穏で平安な生活へ導いてくださるようにとの願いです。米田豊先生は、「ご聖霊は夜露のようにしっとりと降ってくださる」と言われたとお聞きしたことがあります。実に、ご聖霊は夜露のようにしっとりと降り、私たちの傷を癒やし、慰め、生き返らせ、平らな道、とこしえの道に導いてくださいます。
11節「あなたの御名のゆえに…あなたの義によって」、12節「あなたの恵みによって」とあります。私たちが救われ、新しくされるのは、「御名」によるのであり、神様の恵みと救いと勝利に満ちた「義」と「恵み」のゆえです。いっさいの栄光は神にあります。
12節、主の恵によって、罪咎、悪意という魂に敵対する一切のものは除かれます。ついには、「私はあなたのしもべですから」とへりくだった信頼に溢れた神との親しい関係を述べています。
三、行くべき道を知らせてください
最後にもう一度8節の「朝に、あなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから、行くべき道を知らせてください」というみことばについて思いを巡らせたいと思います。
「朝に、あなたの恵みを聞かせてください。」夜はいつまでも続きません。やがて夜のとばりは開け放たれ、朝が来ます。苦難の夜は過ぎ去り、新たな朝が朝日とともにやって来ます。「私はあなたに信頼していますから」主への信頼、主への信仰こそ、輝かしくも新しい朝の扉を開き、行くべき道を示し、新しい一歩を踏み出させてくださるのです。
「行くべき道を知らせてください」行くべき道を示し、新しい一歩を踏み出させてくださるようにと願っているのです。この詩篇143篇は、第6篇、第32篇、第38篇、第51篇、第102篇、第130篇と続く、悔い改めの死の最後の詩篇であるとともに、詩篇140篇~143篇という一連の詩の最後に位置する詩篇です。それらの詩篇を見渡す時に、主なる神の「真実と義」「恵みとまこと」に信頼することによって、行くべき道を示され、悔い改めて、神との交わりに至る新しい道へと一歩を踏み出すということです。
最後に、へブル人への手紙10章19~20節をお読みして終わりたいと思います。「こういうわけで、兄弟たち、私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。」(へブル人への手紙10章19~20節)
(結論)主なる神の「真実と義」「恵みとまこと」に信頼し、進むべき道に導びかれ、神との交わりに至る新しい道へと前進いたしましょう。