礼拝説教「家庭を祝福される神」2023年7月30日
聖書 詩篇127篇1~5節、詩篇128篇1~6節
(序)本日は、「家庭を祝福される神様」という同じ主題が歌われていますので、詩篇127篇と詩篇128篇を同時に見て参ります。
一、主が家を建てるのでなければ 詩篇127篇1節
127篇1節に「主が家を建てるのでなければ」とあります。建築というアイデアを基に、日常における生活の基礎に主を覚えることの大切さを歌っています。先週まで祈祷会で伝道者の書を学んでいましたが、「神を忘れた生き方がいかに空しいか、神の御業に目を留め、神を恐れ、神の命令を守るべきことこそ人間の本分であること」を教えられました。
127篇1節においても、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい、主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい」と言うのです。
二、主を中心とする日々の営み 詩篇127篇2節、詩篇128篇1~2節
詩篇127篇2節と詩篇128篇1~2節には、「主を中心とする日々の営みの幸い」が歌われています。
まず詩篇127篇2節ですが、「早く起き、遅く休み、労苦の糧を食べたとしても、それはむなしい」とあります。どんなに勤勉に働いても、また時間と労力を費やして働いたとしても、本当の人生の目標、喜びと平安なくしては、むなしいというのです。しかし覚えてください。「主は、愛する者に眠りを与えてくださる」と言うのです。眠りは、心身ともに安らぎが与えられてこそ得ることが出来ます。一日の安らぎの夜の眠り、一週の安らぎの場である礼拝を通して働きの意欲と新たな力が与えられるのです。
<詩歌・賛美>安眠:夕日落ちて:S.B.ゴールド:讃美歌49:詩篇127:2
1.夕日落ちて 空暗く 寝に行く鳥 かげ消えぬ
星はさめて 花眠り 今日は去りて 夜は来ぬ
2.神よ今宵 夜もすがら みふところに 休ませて
照り輝く 御姿を 見させ給え 夢路にも
3.波に乗れる 船人も 道にくれし 旅人も
目ざすかたへ ともないて 着かせ給え 安らかに
4.明くるまでは みつかいの 翼もて 覆いつつ
心きよき 者として 覚まし給え わが神よ
この賛美は、主が愛する者に眠りを与え、安息と霊と肉との回復を与えてくださることを歌っています。さらに地上の人生の旅路を歌い、終わりに「わが神よ」との呼びかけで結び、主に全くゆだねた安息さえも感じられる讃美歌です。
次に詩篇128篇1~2節を見たいと思います。1節に「幸いなことよ。主を恐れ、主の道を歩むすべての人は」とあります。「主を恐れる」とは、主を信じ、主の語られたみことばに忠実に従って生きることです。一言で言うならば、「主を中心として生きる」ということです。
2節には、「その手で労した実りを食べること」とありますが、それぞれの働きの成果が与えられるということです。箴言10章22節には、「人を富ませるのは主の祝福。人の労苦は何も増し加えない」とあります。さらに申命記8章17~18節もご覧ください。「あなたは心のうちで『私の力、私の手の力がこの富を築き上げた』と言わないように気をつけなさい。あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与える力を与えるのは、あなたの父祖たちに誓った契約を今日のように果たされるためである」とあります。私たち富む者となるのも、主が力と知恵を与えてくださるからだというのです。すべては神の賜物なのです。ですから、私たちは、日々に感謝を主にささげることを忘れてはなりません。 でから第Ⅱテサロニケ5章16~18節に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」とあるごとくです。
三、主の賜物である子どもたち 詩篇127篇3~5節、詩篇128篇3~6節
詩篇127篇3~5節と詩篇128篇3~6節、ご覧ください。ここには、家庭の祝福、特に子どもたちが与えられる祝福について歌われています。詩篇127篇3節には、「子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬」と歌われています。そして続く4~5節で、「勇士の手にある矢の満ちた矢筒」に譬えられています。さらに、128篇3節では、「たわわに実るぶどうの木」、「青々と勢いよく茂り、これまた、たわわに実るオリーブの木」に譬えられています。
4節には、「見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける」と約束のみことばがあります。主を信じ、主をそれぞれの、そしてそれぞれの家庭の中心に置く人は、主から豊かな祝福を受けることが出来るのです。5~6節には、主の祝福といつくしみ、平和と繁栄が祈られています。
主をそれぞれの、そしてそれぞれの家庭の中心に置く人は、主の祝福といつくしみ、平和と繁栄が与えられるのです。
最後に、コロサイ人への手紙3章17節、23節をご覧ください。ここに実にクリスチャン家庭のあるべき姿、幸いな家庭生活の秘訣が記されています。
<例話あかし>キリスト者の家庭:埴生の宿:コロサイ3:18~21
バックストン先生の『クリスチャン・ホーム』と題する説教の締めくくりに、『ホーム・スイート・ホーム(「埴生の宿」)』という歌のエピソードが記されています。「米国の南北戦争のある日、戦闘のあった夕べ、両軍は双方の陣へ引き上げ、野営の準備をしていました。すると、北軍の一つの隊で『ホーム・スイート・ホーム』を奏で始めました。終日、戦死者や負傷者が出る戦慄すべき場面にいた人々に、この音楽が夜の空気を動かして、驚くべき力を持って響いて来て、家庭、両親、友人、妻子への思いが、彼らの心を満たしました。他の隊もこれに和しました。それを聞いた敵の隊も加わり、ついに両軍の人々が耳を傾け、『ホーム・スイート・ホーム』を静かに歌い出したというのです。
実に家庭は、神様が定められた祝福のご計画です。家庭は、争いと腐敗に満ちた世界のただ中にあって、私たちに与えられた神の賜物です。私たちの家庭の声なき調べが、平和と愛の思いを満たし、人々の間に流れ出るようにしたいと思います。主イエスに私たちの家庭の主人となって頂き、主に私たちの家庭を小さいパラダイスとして頂きましょう。
(結論)主の支えと守りと安息を頂き、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事を感謝する者となりましょう。主イエスに私たちの家庭の主人となって頂き、主に私たちの家庭を小さいパラダイスとして頂きましょう。