聖書 詩篇119篇145~176節
(序)本日は、詩篇119篇145~176節よりお話しします。
一、夜明け前に起きて(145~152)
145~148節、詩人は、「心を尽くして呼びました」と心を注ぎだして祈っています。「私にお答えください。…私をお救いください」と、夜明け前に起きて叫び求め、みことばを待ち望んでいます。夜明の見張りよりも先に目覚め、みことばを深く思って祈る祈りを主は聞いて、答えてくださいます。
149節、主が、私たちの祈りを聞いて下さるのも、恵みによるのです。「主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください」とは、156節にも繰り返されています。「神様の恵み深い摂理の中に、私を生かしてください」ということです。
150~151節、詩人に悪を追い求めるものが近づきますが、しかし、詩人は、主が近くにいてくださることを確信し、主のみことばの真実に拠り頼んでいます。そして、152節、詩人は、主なる神のあかしは、変わることなく、確かであることを告白しています(152)。
二、みことばのすべては真実(153~160)
153~154節、詩人は、苦難の中にあって、「私を助け出してください。…私を贖ってください」と、主の助けを祈っています。ここでも、詩人は、「みことばにしたがって生かしてください」と願っています。みことばにしたがって生かしていただくことは、私たちにとって、幸いなことです。
156節、詩人は、主のあわれみの大きさに目を留めます。そして、「主よ。あなたの定めにしたがって、私を生かしてください」と言います。
159節、詩人は、どんなにみことばを愛しているかを、「ご覧ください」と言い、「主よ。あなたの恵みによって、私を生かしてください」と祈っています。主の恵みによって生かされることは幸いです。私たちの救われていること、生かされていること、守られ導かれていること、様々な奉仕に用いていただいていることは、すべて主の恵みのゆえです。
実に、私たちの今ここに存在していること自体、主の恵み以外の何物でもありません。
そして、詩人は、160節、「みことばのすべては、真実です。」(新改訳)と賛美し告白しています。口語訳では「あなたのみ言葉の全体は真理です。」とあり、文語訳では「なんじのみことばの總計(すべくくり)はまことなり」とあります。主は、私たちのために、予め備え、その時々に必要な恵みのみことばを与えてくださいます。そのみことばの總計(すべくくり)は真実だというのです。
三、豊かな平和(161~168)
161節、詩人は、迫害にもかかわらず、神を第一として、みことばを恐れ、尊んでいます。162節、詩人は、狩人が大きな獲物を見つけた時のように、みことばを見つけて喜ぶと言うのです。
163節、詩人は、偽りを憎み、忌み嫌い、対照的にみことばを愛すると言っています。164節、詩人は、主の正しい義のさばきのゆえに、日に七度、主をほめたたえると言うのです。七は完全数であり、「何度も」「一日中絶え間なく」ということ。
165節、神様のみおしえを愛する者には、豊かな平和、平安があると言っています。すなわち主イエスの贖いによって、私たちは神様との平和をいただき、また隣り人との平和をいただいています。「実に、キリストこそ私たちの平和です。」エペソ2章14節。
166節、詩人は、「私は、あなたの救いを待ち望んでいます」と言っています。詩人は、主のさとしを守り、それを愛しています。
そして、168節、「私の道はことごとく御前にあるからです」と言っています。神様の御前から、コソコソと隠れるのではなく、その歩むすべての道が、いつも神様の御前での道であり、主の臨在の中をいつも歩いているというのです。まさに敬虔な生涯の歩みです。
私たちは、「神の臨在の不断の現実感」に、常に生きる者とならせて頂きましょう。いつでも、何処でも、どういう状況でも、「わたしはここにいるよ」と仰って下さる主のみ声を聞きつつ歩む者でありたいと思います。
四、賛美に溢れて(169~176)
169~176節をまとめて言いますと、詩人は、みことばの恵みのゆえに、喜びと賛美に溢れて主をほめたたえています。
171~172節、詩人は、「私の唇に賛美が湧き溢れるようにしてください。…私の舌があなたのみことばを歌うようにしてください」と言っています。
175節に至っては、「私のたましいが生き、あなたをほめたたえますように」と歌っています。すなわち、詩人は、「自分の全身全霊が力づけられ、生かされて、主をほめたたえます」と歌っているのです。
エペソ人への手紙5章18~19節をご覧ください。「御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって、心から賛美しなさい」と勧めています。
(結論)あなたのみことばのすべては真実であることを覚え、キリストによって与えられた平和を感謝し、神の御前に敬虔に歩み、私たちのたましいの奥底から、全身全霊をもって主を賛美し、礼拝いたしましょう。