礼拝説教「主の数々の恵みを見極めよ」2023年1月29日
聖書 詩篇107篇23~43節
(序)先週に続いて、詩篇107篇からお話し致します。
一、海の深みで見た恵み(23~32節)
23~32節には、船で海に漕ぎ出す者の経験した恵みが歌われています。ここに描かれている大海の様子は、地中海に船でこぎ出して行く人の様子が描かれています。地中海は時に嵐で荒れ狂い、難破の危険が待ち受けている大海です。24節に「深い海で、その奇しいみわざを見た」とあります。波風の無い静かな湖面を滑るように進む人生も幸いですが、私たちの人生には、時に思っても見ない嵐が襲って来ます。大波が私たちの頭上を越えて行くように感じる時もあるでしょう。その時、私たちは、大波によって、天に上り、深みに下るように感じます。詩人は、その人生の深みで、主の救い、主の恵みの御業を見たと証ししているのです。そのたましいがみじめに溶け去り、よろめき、どのような対策も無駄であるような状況で、主に向かって叫ぶ時、主は苦悩から導き出し、嵐を鎮め、その望む港に導いてくださったということを、詩人は感謝し歌っています。
「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マルコの福音書6章50節)。
二、水なき荒野で見た恵み(33~38節)
33~38節には、水のない不毛の荒野に、主が水を湧き上がらせ、潤いと豊かさを与えてくださったことが歌われています。
主は荒野に水を、荒地に川を流れさせることの出来るお方です。
潤いのない地、不毛の地、カラカラに乾いた砂漠に水を湧き上がらせ、人は種を蒔き、ブドウ畑を作り、豊かな穀物の収穫を得るというのです。主が祝福されるので、人口が減少し、人の住まない所に家畜や人を増やし、町とするというのです。
主なる神は、私たちの心が潤いを失い、カラカラに乾いている時にも、みことばを与えてくださり、恵みといのちに満ち溢れさせ、豊かな実り、溢れるばかりの収穫を与えてくださいます。38節のみことばを、一人ひとりが、また教会が自らに与えられた主の約束として受け取りたいと思います。すなわち、「主が祝福されると、彼らは大いに増え、主はその家畜を減らされない」というのです。「主がこの群れを祝福して下さって、群れの人数を増やしてくださるのだ。その財産も減らされることはないのだ」ということを信じたいと思います。
三、困窮から引き上げられた恵み(39~43節)
39~41節には、様々な出来事による虐げと災いと悲しみとで、その数も減少し、心もうなだれている状況、道なき道をさ迷い、困窮の中にある者を、主なる神は、高く引き上げ、その一族を羊の群れのように、増し加えてくださる恵みが歌われています。まさに、困窮から引き上げられた恵みがそこにあります。現在私たちがどの様な困窮した状況にあろうとも、主なる神様は、私たちを引き上げ、それぞれの家族を、一族をそして、教会を羊の群れのように多くの人で満たしてくださるのです。そのことを、信仰をもって受け取りましょう。
42~43節は、与えられた恵みの数々を覚えての結論です。「直ぐな人、正しい人」は、それらの恵みを見て、喜び、不正な者、不信仰な者は、主の奇しい御業を見て、それまで散々悪口を言っていた口を閉ざすというのです。
ですから、43節、知恵のある信仰の人は、これら数々の恵みの御業を「心に留め、見極めよ」というのです。この「見極めよ」と訳されたヘブル語の言葉は、「識別する」とか「ジーッと観察して深い意味を認める」というような意味を持った言葉が使われています。ですから、新共同訳では、「注目せよ」と訳されています。すなわち、主に数々の恵みを「ジーッとよく観察して、その深い意味を見極めよ」ということです。
(結論)私たちは、詩篇107篇を通して、さらには聖書全体を通して、様々な神の恵みを見ることが出来ます。またこれまで信仰の先輩方が、さらには、皆さん方自身が経験してきた神の恵みに目を留め、ジーッとよく観察して、その深い意味を見極めようではありませんか。そして、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に感謝をささげようではありませんか。