礼拝説教「平和の君誕生の約束」2022年12月4日 アドベント第2週
聖書 イザヤ書9章1~7節
(序)アドベント第2週を迎え、メシア誕生の預言から見たいと思います。1節を御覧ください。「苦しみのあった所にやみがなくなる」とあります。ゼブルンの地とナフタリの地とは、ガリラヤ湖の西側にあたる地域であり、古来この地域は、国々に侵略され、苦しみを担ってきた地域でした。そのガリラヤに、メシアである主イエス様がお出で下さり、苦しみと闇の中にいる人々を照らしてくださるという預言でした。ですから、「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た」と言うのです。死の陰に住んでいた者の上に光が照り、戦いが終わり、重荷は除かれ、喜びと繁栄が人々に訪れるというのです。6節、「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる」とメシア誕生の預言がなされます。「主権はその肩にある」と言い、その名について紹介されています。
一、不思議な助言者
その名の最初に出てくるのは、「不思議」という言葉です。「不思議な」と言うより、「不思議」そのものであるお方が紹介されています。士師記13章18節を見ますと、サムソンのお父さんのマノアが主の御使いに名前を聞いているところがありますが、御使いは「それは不思議」と答えています。救い主である主イエスは、「不思議」そのものでいらっしゃるお方です。人間の知恵と力を超えた神としての御名です。主イエスはメシアとして、驚くべき不思議なお方です。その誕生において「不思議」であり、その愛、その力、その謙遜、その悲しみ、その苦痛において、またその復活、昇天において不思議なる方です。まさにメシアの神性を表しており、不思議な驚くべきお方です。新改訳では「不思議な助言者」と訳されています。ワンダフル・カウンセラーです。王には、たいていどの道に進むべきか相談して助言を与える助言者がいました。様々な知恵を王に提供する人です。しかし、王としての主権をもって生れるみどりごは、王であるとともに知恵に満ちた不思議な助言者です。キリストのうちに知恵と知識との宝がすべて隠されているのです(コロサイ人への手紙2章3節)。主イエスは、私たちと共にいて、私たちを導き助けて下さる方です。主は、私たちの信仰の導き手です。
二、力ある神
このみどりごは、「不思議な助言者」であるばかりでなく、「力ある神」です。私たちを罪と暗黒より救い出し解放して下さる力ある神、全能の神です。主が私たちの力であることを、詩篇は度々歌っています(詩篇28篇7節)。ゼパニヤ書3章17節に「あなたの神、主は、あなたのただ中にあって、救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」とあります。この「勇者」とは、「力ある」を意味するギッボールという言葉が用いられています。主イエスは、大きな力をもって、人々を癒し、暗闇から救ってくださいました。ルカの福音書8章46節。
三、永遠の父
父という言葉は、メシアの特性を示す言葉であり、父のようにその民を守り、彼らの必要を供給する方であることを意味しています。民にとっての神は、父のような存在であり、羊にとっての羊飼いのような、愛と慰めと慈愛に満ちた保護者のようなご存在です。主は、常に私たちを守り、すべての必要を満たして下さる方です。イザヤ書63章16節。
四、平和の君
「平和の君」とは、メシアの名前の中のクライマックスです。主は、平和の君として、全ての人に真の平和をもたらせてくださる方です。「平和」シャロームとは、欠けのない満ち足りた事であり、「内からほとばしり出る溢れるばかりのいのち」です。すべての祝福の基礎は、神との平和です(ローマ5章1節)。神との平和から始まって、人との関係、霊的なこと、生きがいのこと、経済的なこと、その他ありとあらゆることにおいて満ち満ちる「豊かな平和と繁栄」です。心の遜った柔和な人は、豊かな平和と繁栄を自らの喜びとすることが出来るにです(詩篇37篇11節)。この「満ち溢れるいのちのシャローム」を与えるために、主は、「平和の君」としてお出で下さったのです。
(結論)主は、力ある神、とこしえの父でありながら、不思議な助言者、導き手として、私たちと共に歩み、平和の君として、平和と繁栄を与えて下さる方です。実に万軍の主の熱心がこれをなして下さるのです。このお方を信頼し、従って参りましょう。