礼拝説教「恵みによって支えてくださる神」2022年8月14日
聖書 詩篇94篇1~23節
(序)本日より、再び詩篇を紐解きたいと思います。本日は、読んで頂きました詩篇94篇18~19節を中心にお話いたします。
- 真の神は、復讐の神なのか
詩人は、この詩を「復讐の神、主よ。復讐の神よ」というショッキングな呼びかけで始めています。私たちの信じている主なる神様は、本当に「復讐の神」なのでしょうか。このことについて、まず考えたいと思います。確かに、神は、悪しき者が勝ち誇るのをお許しになられません。
聖書の神は、「義なる方」であり、民を打ち叩いて苦しめ、ひとり者となった女性や寄留の外国の人、親を失った子どもたちをいじめておきながら、「主は見ることはない。ヤコブの神は気づかない」と言い放っている者たちをそのままにしては置かれません。真の神は、必ず、彼らの悪い仕業に対して報いを与えられます。
私たちもまた、悪しき者の行いを見たり聞いたりした時、詩篇の作者と同じように、「復讐の神よ。光を放ってください。地をさばく方よ。立ち上がってください。高ぶる者に報復してください」と叫びたくなります。特にロシアのウクライナへの軍事侵攻は赦されるものではなく、ニュースを見るたびに心が痛みます。「光を放ってください。…立ち上げってください」とは、抑圧されている人々が、神のさばきの実行を期待して叫んでいる声です。確かに、主なる神は、主を信じる者のために、悪しき者の横暴なふるまいに対して、報い報復してくださいます。しかし、もし私たちが自分に敵対する者を「悪」と決めつけ、自分たちの側に立つ「復讐の神」が、私たちに味方して勝利を与えると考えるなら、それはとどまるところを知らない憎しみとテロと戦争の恐怖の中に、私たちを巻き込んでしまいます。そのような聖書の読み方は、自分も他の人をも破滅に導くだけです。私たちはつい、ロシア人のすべてを悪として考えてしまいます。しかし、ロシアにも良心をもって平和のために行動している人々がいるのです。
8月6日の広島平和記念式典における松井一実広島市長の「平和宣言」を聞いて感銘を受けた方は多いと思います。その宣言の中で、松井市長は、『戦争と平和』で有名なロシアの文豪トルストイの「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみしめるべきである、と語って、「武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。過ちをこれ以上繰り返しては張りませんと」と語っておられました。
真の神は、すべての人が悔い改めて、滅びの道から救われ、平和の道を歩むようにと、絶えず恵みと真理のみことばによって語りかけておられるのです。
- 真の神は、平和の神
聖書の神は、単なる「復讐の神」ではありません。「義の神」ですが、同時に「愛の神」であり、「平和の神」です。すべての国の人々を、罪のもたらす滅びから救い出し、代価を払ってまで贖い、罪を赦しきよめて、「平和」を与えてくださる「平和の神」です。
鍋谷という先生は、詩篇94篇の11節と12節の間に一呼吸置いて読むことを勧めておられます。実に、詩篇94篇の11節と12節の間において、詩人は、心の変化を覚えているのです。すなわち、「復讐の神」を呼び求める思いから、「幸いと平安を与えられる神」へと詩人の思いは変化しています。神のみ教えである聖書のみことばを受け入れ、学び、信じる人を、主なる神様は、決してお見捨てになりません。
12~13節に、「何と幸いなことでしょう。主よ。あなたに戒められ、あなたのみおしえを教えられる人は。わざわいの日に、あなたはその人に平安を与えられます」と歌っています。主を信じ、常に主のみことばを求める者に、「平和の神」は、「幸いと平安」を与えてくださるのです。
三、恵みによって支えてくださる神
もう一度、詩篇94篇17~19節をご覧ください。詩人は、私たちと同様に、現実世界の様々な悩みに打ちのめされ、そのたましいが絶望のうちに沈黙し、足がよろけ、思い煩いで心が満ちるような経験をしています。しかし。詩人はそのような苦しみの中においても、主の助けと恵みを忘れていません。主が、助けの御手を差し伸べ、その恵みで支え、慰めてくださることを信じているのです。主なる神様は、どのような時にも助けの御手を差し伸べ、、私たちをその恵みで支え、励まし、強めてくださるのです。
最後に、ペテロ第1の手紙5章10節をご覧ください。「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」とあります。主なる真の神は、私たちを、あらゆる恵みで支え、回復を与え、強くし、動かされるところのない者としてくださるのです。
主は、恵みの御手で私たちを支え、常に、私の砦、私の避け所となって、平和と喜びを与えてくださいます。
(結論)私たちを、その恵みの御手で支え、強めてくださる神を信じ、真の平安を頂く者となりましょう。