説教題「クリスチャンの現在~神の愛への確信」
聖書 ローマ人への手紙8章28~39節
- 勝利のみわざ~十字架
過越しの祭りの時に、イエス様はエルサレムに歓呼をもって迎えられました。そしてその週の金曜日に歓呼が嘲笑と罵倒に変わる中でイエス様は十字架刑に処せられてしまうのです。これが当時の弟子たちとってどれほどショックであったかと思いますが、それよりも衝撃的なことは、十字架に死んで葬られたイエス様がよみがえられたことです。
弟子たちはこのような経験の中で、キリストの十字架の死が敗北ではなく勝利であったことを悟るようになります。それはわたしたちを悪と罪の支配から解放し神の国をもたらすみわざであったのです。それこそが弟子たちが委ねられた福音の内容でした。
- 十字架の愛の力
パウロもまた使徒として召しを受け福音を宣べ伝えましたが、その中心に据えたのは十字架のことばでした。
パウロは十字架こそが神の力として宣教しました。
これに比してこの世の力というものが挙げられます。権力や武力が世界を蹂躙し、日常の世界でもパワハラ、いじめなどが横行することですが、十字架の力とはそのような力ではなく、神の愛の力です。それはまさにヨハネ3章16節にあるようなご自分の御子を与える愛の力です。
このような十字架の愛の力によって、世界の罪と悪が一掃され神の国、神のご支配が実現するのです。それこそが福音でありパウロが命を賭けて宣べ伝える力の源泉でした。
- キリストの愛から引き離すことはできない
パウロは、神はすべてのことを益としてくださる、神が味方であるからわたしたちに敵する者はないとして聖徒を励ましますが、その根拠はキリストの十字架にありました。わたしたちのためにキリストを遣わされた神の愛からだれも引き離すことができない。それがパウロの確信でした。
たとえサタンの告発であっても、パウロ自身が苦しんだ苦難であったとしても、そして死も、いのちも、力あるものも、そのほかどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです。
