説教題「苦難のキリスト」
聖書 ルカの福音書9章10~27節
イエス様は御国の福音を宣べ伝えるべくガリラヤで活動をなさいましたが、当時の人々は熱狂的に迎え入れました。その理由は当時、イスラエルではメシアを期待する機運が高まっていたことが挙げられます。人々は剣を持って国の独立を勝ち取るメシアを求めていました。
しかしイエス様は、律法の言い伝えに反して安息日に人をいやし、罪の赦しを宣言し、敵を愛するという教えを説くなどして、彼らの望むものとは異なるメシア像、神の国のヴィジョンを示されました。
- 圧倒的なみわざとしての5千人の給食
そのような中で、イエス様は圧倒的なみわざをもって宣教を進めていかれますが、中でもその大きな出来事は5千人の給食です。イエス様は5千人をパンと魚で満たすということをなさいましたが、これは出エジプト記で神が荒野でイスラエルの民をマナをもって養ったというみわざと重なるものでした。イエス様こそがイスラエルを神の国に導く方であることのデモンストレーションでした。
- ペテロの告白とイエス様の苦難の予告
イエス様の評判がピークを迎える中、ペテロはイエス様に問われて、あなたは「神のキリスト」ですと告白します。これまではっきり語られることのなかった「イエス様が何者であるか」ということがついに示されました。
しかしそれについてイエス様の語るメシア像は驚くべきものでした。キリスト(メシヤ)は人に捨てられ、殺され、よみがえると言うのです。イスラエルの王たるメシアが殺されるとは!と弟子たちは衝撃をうけたでしょうが、これこそがイエス様が地上に来られた目的でした。
即ちキリストは剣によってではなく、ご自身の命を十字架に差し出すあがないのみわざをもって神の国を建て上げるお方なのです。神の国はそのような神の愛とあわれみに満ちた国なのです。
- キリストの弟子として
イエス様は弟子たちにも自分の十字架を背負って従うことを求めました。それは人を損なうのではなく自分を与える道でした。イエス様の示された十字架の道を歩むとき、わたしたちは神の国の完成のための働きに加わる者となります。その光栄を覚え主にお従いしてまいりましょう。
