説教題「正しい人ヨセフ」
聖書 マタイの福音書1章18~25節
今日はイエス・キリストの系図の中でマリヤの夫として紹介されたヨセフのエピソードです。
ある時、ナザレという小さな村に事件が起こりました。婚約関係を結んでいたヨセフとマリアでしたが、ヨセフの耳にマリアが妊娠したという報が届きました。
- ヨセフの正しさ
ヨセフは正しい人であったとあります。そうであれば彼の選択は限られているように思われます。律法にかなう正しい選択としては、婚約者が法的にはすでに夫婦であるということからマリヤを姦淫を犯した妻であるとして扱い、厳しい罰を課することが適当と考えられるからです。
しかしヨセフはそのことを良しとはしませんでした。マリヤをさらし者にしたくなかったのでひそかに離縁することを選ぼうとしたのでした。このことからヨセフの正しさが思いやりを伴ったものであることが分かります。聖書的な正しさとは一律に相手を裁くのではなく、あわれみを伴うものであることが分かります。それは私たちが身に着けるべき大切な徳ではないでしょうか。
- ヨセフへの告知
そのようなヨセフにみ使いは驚くべきことを告げます。その内容とは、生まれ来る子は聖霊によるのであり、その名はイエスと名づけられるということ。何よりその子は自分の民を罪から救う者となるということでした。
イスラエルの民は自らの罪によってもらされた捕囚を経験しましたが、今またローマのもとに支配されている状態でした。民を罪から救うというのは、彼らをローマの支配から解放するメシアであることを意味したでしょう。もちろんイエス・キリストの救いのわざは全世界に及ぶのでした。
そのことはイザヤのインマヌエル預言で確かにされます。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。この預言は神の臨在を失ったイスラエルの回復であり、最終的にはこの世界全体の回復を意味するものでした。
正しい人ヨセフはこのような告知を受け、マリヤを受け入れました。わたしたちもヨセフにならって主の前に忠実に歩む僕とさせていただき、神の栄光を拝する者とさせていただきましょう。
